昨年の30日から 突然始まった 片付け。


ほぼ片付けの終わった 今になって思うのは・・・

やっぱり たまたまではなくて なにかの流れに乗って

ここに来てしまったようだということ。


久しぶりの 導かれた感覚を今になって感じているのです。


きっかけは プリンさんが 片付けのことをブログに書いていて

こんまり?なんだろう?と思って検索して

テレビに出演されていたときの 動画を見まくって

なんだか 感じるものがあったので 著書も調べてみたら

これなんと 前に 韓国で日本の図書が買えるネットショップで

目にしていたけど 今更 片付けなんて・・・と鼻で笑ってたところも

あって 素通りしてた本。

だけど・・・今思い返すと すっと通りすぎていくとき

不思議な感じがしたのを覚えている。


それは 「魔法」という言葉が残した余韻だったのだろうか?


片付けは結構得意!だと思ってたし。


こんまり先生も あえて収納グッズは買うなというような 雰囲気もある。

確かに 収納するもの(箱 仕切りなど)必要だけど 今あるものの中に

ぴったりくるものがあるはずだから 買う必要はないというような

ニュアンスで 必要なものは準備されているはず・・・だから

それを見つけて活用するだけでいい・・・という 一種のなにやら 

スピリチュアルな感覚。


そして 私も それを 今までに感じていたので うれしくなったりした。


本を読みこんでいくと こんまり先生にほれ込んでしまったのは

技術的なことよりも 精神的なこと 考え方。


それで なるべくもらさずに こんまり先生の言われることを

知りたいので なんと一気に 2冊の本を注文してしまった。


その本を待たされているうちに 年末の30日になってしまったということ。


その中で しょっぱなの方から 考えさせられる文章にであう。


なぜ今 片付けたいのか・・・?そこに 大きな意図がある。


だから まずそれを 自分に真剣に問うて なぜ 片付けたいのか

どうなりたいのか はっきりさせるほうがいい・・・というか

はっきりさせてから 片付けに入ること!というようなことが

書かれていた。


わたしも なぜ今なんだろう?と考えてみた。


別に わたしは 日本の大掃除に乗って 掃除を始めたわけではない。

大掃除の風習があまりない 韓国だから 誰も この時期に

大掃除もしないと 文句は言わないし。

わたしが 大掃除を始めるとしたら 暖かくなった5月ごろ。



あ!・・・そうか あの2010年の5月の大掃除も 意味があったかなと思う。

統一教会からの 決別のための 片付けだったのだ。

もちろん わたしは そんな目的を持っていたわけではなかった。

だけど なにかしら 片付けてすっきりさせたいと思っていた。


来たるべき ヨスの修練会のプッシュに構えて 身の回りをきれいにして

おきたかったことと なにかに 集中してなるべく ヨスのことを 

考えないようにしていたこともあるかと思う。


でも 今 振り返って思うと その片付けは 統一教会を片付けるための

片付けでもあったと言ってもいいかもしれない。面白い。


統一教会関連のものを直接捨て始めたのは 夏以降だったけど。

まさか 教会のことが 半年後にあれだけ すっきり 片付いてしまうとは

いやはや 夢にも思ってなかったなあ~~

でも どこかで そろそろ 教会のこと(特に組織との関わり)を

片をつけなくちゃと思い始めていた頃だったから 時に叶っていたのかも。


「片付けは 人生に片をつけること」2冊目の後半かに書いてあった。


なぜ 今になって片づけをしようと思ったのか

わたしの心理が そこに書いてあるようでもあった。

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部屋を片付けるとなぜか やりたいことが見つかる。

人生をドラマチックに変える。

過去に対する執着と 未来に対する不安を捨てる。

お部屋と体はつながっている。

片付けると運気があがるのは本当か?

本当に大切なモノの見分け方。

ときめくものに囲まれて暮らすと幸せになれる。

本当の人生は「片付けたあと」に始まる。

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もちろん 片づけをちゃんと 実践しないといけないけど

片づけをしながら 本を読み進めていくことをしているうちに

なぜ 今 片付けに こんなに真剣に取り組むことになったのか

わかってきたような気がした。



統一教会を辞める前から 直後に渡って 関連のものはかなり

処分してきた。


だけど 今回片付けてみて 驚いたことがある。

まだ こんなもの 写真があったのか・・・ということ。


そして 今回は はっきりと これだけは残す!と決めて

捨てない 持っておくと決めたものもあるけど

過去の私は はっきりさせることができないから

とっておくべきモノも 「捨てられないもの とりあえずとって置くもの」という

カテゴリーに入れてあいまいにしていたことに気づいた。


過去に対する 執着も捨てたかったと思う。

思い出は 思い出のまま ちゃんと とって置けばいいけど

その区別があいまいになっていたところもあったと思う。


未来に対する不安はいつもあった・・・。

それが いつかの為に 溜め込んでいた 膨大なごみに

現れていた。


整理整頓は 得意だと思ってたけど

捨てることができずに それらのものを 全て 収納していたのだ。

やがて 本当に必要なものまでも 不必要なものの中に埋もれて

十分に生かせていなかったことにも気づいた。


部屋は心の現われという言葉も 昔から 聞いていたけど

本当に 家の中は 私の心と体と 一体となっていたようだと

思う。


1人暮らしではないから 全てのものが私のものではないので

やはり 家族で暮らすと あいまいなものは出てくるし

私が 手を出せない領域もある。


だけど それも どうせ・・・という言葉で片付けて 見てみぬふりを

していたことにも気づいたし 責任をなすりつけていた部分も

あったかと思う。


あまり 全部自分の主管にすると 今度は 思うようにならない

ストレスを家族に持ってしまうこともあるから 大家族ですむ場合は

やっぱり 心の器というか ゆとりも必要かな・・・・?



これで 本当に 統一教会のことに対しては 片付け終えた

ことになるかもしれない。

まるまる5年かかったかな。


本当の人生は 片付けたあとに始まる。


どんな1年になるだろうか わくわくしてきた。