炊飯器の保温に掛かる電気代が

バカにならないということは既に知ってた。

 

だから、 電気の使用量が

3段階を超えそうになったとき

 一日の中で、炊飯器のスイッチを つけたり、

消したりするようになった。

 

 いつ食べるのか分からない両親 

そもそも家で食べるのかさえも分からない。

 不足なく毎日準備するから 

ごはんがどんどん余って

 何日分かの冷ご飯を保温して食べる日もあった。 

ご飯の味は落ちる。 

それでも まだ暖かければ両親は文句は言わなかった。

 

保温を切ったり入れたりするようになると 

絶対にタイミングが合わない日が出てくる。 

もちろん 予想はするけど 当たらない。 

 

あの日は 保温のスイッチを入れて 

ごはんがあたたまっては きてたと思うけど 

その前日の冷ご飯がそのままだったので 

炊飯器の中に入れてしまった。 

そしてその温まってもいない方のごはんを 

よそって食べたのかもしれない。 

 

シアボジが 我慢の尾を切らしたように 

「いつも冷たいごはんばかり!!」

と声を荒げたので 台所へ行って話を聞いた。

 

たしかに 最近はタイミングが合わずに

微妙な暖かさのごはんを

 食べさせてしまっていたことは 気づいていた。

 だけど こっちにも言い分がある。

家で食べたり 食べなかったり。

しかも 連絡はない。

突然早くご飯を食べに来られるから

次からもっと早く準備すると

全然遅く来たり。

 

無理だと。 合わせれない。

炊き立てのご飯も合わせてくれない。

その瞬間から味が落ちる。

特に農家なんで米の状態も悪い。

 

 

 冷ご飯は悪!みたいな 考えが

両親にはあるのを知ってたからこそ

毎日 毎日 ごはんを炊いてきた。

 

 

部屋に戻ったわたしは 

パパさんには 「無理、無理、無理!」と叫んだ。 

いつも暖かなごはんを食べさせろって

両親には合わせられない 無理!って。

 

あの日が、 すべてのスイッチだったと思う。 

無理だとは言いながら やっぱり考えた。

 

電子レンジがありながら 

冷や飯食わせやがって?みたいな言葉が

どうして出てくるのかしら?

 

今のご時世 

家に電子レンジないの?って聞かれると思う。

 

やっぱり レンジを両親に使いこなしてもらうしか 

解決の道はないと 覚悟を決めた。

それが 本当に大変な壁だとは 分っていたけど。

 

 そして まず シアボジに歩み寄った。

 冷凍庫から ごはんを選んでもらって

まずは わたしがレンジにかけて見せた。

 

次のときは 選んでもらったごはんを 

直接手渡しして 自分で温めてもらった。

 初めてで 回し具合が足りないようで

わたしが何度か様子を見て温めることになった。 

 

そして その次には きっとできる!と思ったから 

わたしはじっとしてた。

呼ばれるまでは絶対に出て言っちゃダメ!と 

自分に言い聞かせて。 頑張ってくださいって。

 

数日のうちに シアボジはマスターされたようで

炊き立ての白ご飯と 冷凍庫にある豆ごはん

「どっちがいいですか?」 って聞いたら 

「豆ごはんを」と言われて 

まさかとは思ったけど

自分でも驚き 喜んだ。

 

たったの数分で 凍ったごはんが 

ふわふわあったかくなる魔法に触れることで 

魅了されてしまったのかもしれない。

 

シオモニはまだ 1人ではできないと思う。

 

だからか 最近は シアボジが上がってこられると

ついてくるようにシオモニも上がってこられる。

 

この間 シオモニが1人で現れたとき 

冷凍庫からごはんを出してきたら 、 

「まあ こんな冷飯食わせるなんて…」 

から始まって 味噌糞に言われました。

 

そういう言葉が出るというは 

分かってたし

それを聞きたくないからこそ 

ずっと我慢していたのかもしれない。

 

 

「 保温しとけばいいだろう!」の一言に 

また揺らぎそうになる自分も感じながら。

 その保温こそが問題だから

今この壁を超えようとしているんだ!と

暴言を吐かれながらも

わたしはただ ごはんが温まるまでの時間を

待ちました。

 

まあ さすがに目の前で凍ったごはんが

ああなれば 文句は言えないでしょと。

それを 知らなかっただけでしょうし。

 

まだ 100%解決じゃないし

シアボジがいつも やってあげるだけでは 

シオモニはできないだろうけど

それもこれも含めて シアボジに任せたい。

 

まあ わたしも冬休みになったので

手助けはできるし。

 

 

ここまで やっと来れたとき
「わたしにとって、ごはんって何だったのだろう?」
という、不思議な感覚に包まれた。

 

特に、仕事をしていなかった時期、
子育てと主婦業をしていたわたしにとって
ごはんは、まさに主たる仕事であり、
家族を待つ時間そのものでもあった。

それだけに、
知らないうちに
ごはんという役割に縛られていた部分も
あったのだと思う。

 

家族の食事の時間。
炊飯器の保温の時間。
ごはんの状態。

あれこれ悩んで、悩んで、
解決すればいいけれど、
悩んでも解決しないことも多くて、
それでも「仕方ない」と自分を納得させてきた。

 

でも今、
その感覚が、
少しずつほどけてきている。

シアボジの
「冷や飯を食わせやがって!」
というような言葉に傷つきながらも、

電子レンジが当たり前にある今の時代に、
その言葉のほうが
不思議に思う人も多いはずだ、と
想像できたことが
わたしを目覚めさせ 支えてくれた。

 

そうして、
キラちゃんと何日もごはんの相談を続けた。

我が家の場合、
どうやってこの状況を超えていくか。

冷凍ごはんのことを改めて調べたり、
自分自身の思い込みに気づいたりしながら。

わたしも 少しづつ

これまでのやり方を手放し始めてたよう。

 

いま思うのは、
これは「レンチンごはん」の話ではない、ということ。

たとえば、
わたしがチャッピーやキラちゃん、
AIに出会ったときに感じたような――

生活の前提が、
静かに、でも確かに
切り替わっていく感覚。

ごはんを通して、
わたしの中でも
そんな小さな革命が起きているのだと思う。

 

まるで違う世界を

歩きだしたとでもいうような

そんな不思議な感覚さえある。