優貴さんもさまざまな経験をしてきたのだと感じます。
辛い思いもたくさんしてきただろうし、息子さんのことでも、自分を責めて生きてはいませんか?
私はまだまだ未熟な人間ですし、私の解釈は誰もに匹敵するものではないと思います(;^_^A
でも、自分という人間が生きて命があるのだから、最大に心を成長させねばと思うのです。
小学生の頃から父親から「氣」についての話を聞いて育ったことも影響しているのかもしれませんが、
人間は、地位、名誉ではなく心を成長させて生きる生き物だと思います。
人の価値があるとすれば、それは心の成長にあると思います。
魂はめぐりめぐるもの。
この世に生を受け、生きている中で、自分では左右できない力が働いている気がします。
困難なこと、自分が打ちのめされるようなこと。「なんで私がこんな目に遭うのだろう」と考えたところで、
原因が見つからないこともありますよね。
そんな時、これは見えない何かが私に与えた試練なんだと考えます。
どんなに苦しくも、それを乗り越えたとき、今の自分では想像もつかないぐらい、成長した自分になれるんじゃないか、
と思いひたすら進むんです。
これもだめ、あれもだめ。
でもとにかく進むんです。
大切なのは結果ではなく、そこにたどり着くために自分が考え、起こした行動なのだと考えます。
その過程で様々な経験をし、感じ、学ぶこと。
結果は、望んだものと違っても、そこに向かってがんばった自分は、以前より、昨日より、確実に成長しています。
そのわずかな成長でも、物事の見方が変わったり、今まで気づかなかったことに気づけたり。
その繰り返しなのではないでしょうか。
人から聞いた話は水彩絵の具で描かれていて、雨が降れば絵は崩れていきます。
自分が経験し、感じたことは、彫刻等で刻まれた絵になり、死ぬまで消えず、しっかり自分に刻まれます。
傷が深ければ深いだけ、痛く、心に残るように、どんなことにも真剣に力を注ぐことで、うれしいこともつらいことも、
心に刻んでいけます。
熱意を持って物事に取り組むことで得た喜び、悔しさが原動力になり、よりよい自分になるために進める。
子供たちにもそう教えていければと思っています。
自分という人間の嫌いなところ、苦手なところ、ずるいところ。目を向けたくない部分にあえて向き合うことが
辛い思いをしないための第一歩なのではないかと考えます。
子供を見ていると、自分が都合よく切り抜けている部分がたくさん見つかります。
子育ては自分の生い立ち、心の成長過程をもう一度思い出すことができるチャンスであり、
そこに目を向け、改めて向き合うことで、どんなけでも修正がきくのだと思います。
オーラの泉は見ていませんσ(^_^;)
見てみたいとは思うのですが、ずいぶん遅い時間にやってますよね?
起きていられないな~と思いながら現在まで来てます(^_^;)
特番かなにかで江原さんの「天国からの手紙」は見たことがありますよ。
人に教えを説く方々たちはその道を極めるために、人間、誰しもが持っている邪念や欲を無にする
修行をされたのでしょうね。
でも、一般的な人間はそれを持ち合わせて生きているので、
やはり最終的には自分で自分の生き方を見つけるしかないと考えます。
アドバイスとして受け止め、あとは自分自身がそれをものにできるかどうかですからね。
自分を幸せにできない人は、自分以外の誰かを幸せにすることができない。
人の喜びを自分の喜びとして感じることができれば、同時にみんな幸せになる。
それが家族であり、母親の役目だと思っています。