今回から、「往年の名選手列伝」と題して、僕が好きだったJリーガーや代表選手を記事にしていきます。当面は日本選手、慣れてきたら海外の選手にも触れていきます!


さて、記念すべき第一回は…

水沼貴史さんです⚽

(以下敬称略。)


今の若い人には、解説者でありマリノスのMF水沼宏太のお父さんとしてのイメージが強いと思います。2020年からは「蹴球メガネーズ」というYouTubeチャンネルを、元サカダイ編集長の北條氏やサッカーライターの川端氏と共に立ち上げていますね。めっちゃ観てます(笑)


93年のJリーグ開幕当時、既にベテランの域に達していた水沼貴史。僕がファンになったのは、Jリーグ初ゴール(93年11月7日ガンバ大阪戦)でガッツポーズ~超高速正拳突き的な~が、めっちゃかっこよかったし、本当に嬉しかったんだなーと思ったのがきっかけです(笑)

かなり後から知ったのですが、あのガッツポーズは、観客席にいたご家族(当時ままだ子どもだった宏太選手含め)に対してのものでもあったそうですね。


Jリーグがきっかけでサッカーファンになった「にわか」とはいえ、既にその時点では水沼貴史が元日本代表選手であったことは知っていました。


年齢的な衰えもあり、盟友・木村和司は94年に、水沼貴史は95年の前期(サントリーシリーズ)終了後に現役引退。


個人成績

JFL通算161試合33ゴール

Jリーグ通算42試合5ゴール

代表Aマッチ通算32試合7ゴール


ここから先は、現役引退後に専門誌やネット、YouTube等々で仕入れた情報がほとんどですが、Jリーグ開幕直後の数年しか水沼貴史をみていなかった僕が思っていた以上に、水沼貴史という選手は偉大だったことがわかりました❗


高校時代には選手権優勝、法政大学時代には総理大臣杯2回制覇。19歳の年には日本初開催のワールドユースに出場、チームはグループリーグ敗退も、日本代表唯一のゴールを記録。

大学卒業後は日産サッカー部へ入り、4度の天皇杯制覇、2度の国内3冠を達成。

日本代表では、ドーハの悲劇以前に最もワールドカップ出場に近づいた、86年メキシコ大会のアジア最終予選であと一歩のところまできたチームで、木村和司と共に右サイドからのドリブル突破や正確なクロス、シュート等を武器に攻撃の核としてプレー。90年イタリアワールドカップ予選では、残念ながらアジア1次予選で敗退するも、木村和司が代表を退いた後のエースとして君臨。

80年代の低迷期から90年代の躍進期を繋ぐ、日本サッカー界の歴史の転換期の超重要人物であったことは間違いない。


現役引退後にはTBSスーパーサッカーに出演したり、今も解説者として活躍されています。

戦術的な解説も分かりやすく、個人的には大好きな解説者でもあります。

2006年には成績不振で辞任した岡田武史の後任としてマリノスの監督に就任するも年末に辞任して翌年はコーチとして復帰するという異例の人事もありました。


これだけの実績をもっている水沼貴史。

これからもメディアでの活動を中心にするのか、現場復帰はあるのか。


いずれにしても、これからも日本サッカーの更なる成長に寄与できる、素晴らしい方だと思いますので、今後の活躍も期待しています❗