1990年 | 一橋大学日本史

1990年

第一問

 

次の文章は、それぞれ13世紀(1)、14世紀(2)、18世紀(3)に著された歴史書の一部である。これらを読んで、下記の問いに答えよ。(文章は、原文を書き改めてある。)(400字以内)

 

(1) 年にそえ日にそえては、物の道理をのみ思い続けて、老いの寝覚めをも慰めつつ、いとど年も傾き罷るままに、世の中も久しく見て侍れば、昔より移り罷る道理もあわれにおぼえて、神の御代は知らず、人代となりて神武天皇の御後百王と聞こゆる。既に残り少なく、八十四代にもなりける中に、保元の乱出来て後のことも、また世継が物語と申すものも、書ぎ継ぎたる人なし。(中略)それは、皆ただ良きことをのみ記さんとて侍れば、保元以後のことは皆乱世にて侍れば、悪き事にてのみあらんずるをはばかりて、人も申し置かぬにやと愚かにおぼえて、一筋に世の移り変り衰え降ることわり一筋を申さばやと思い続くれば、誠にいわれてのみおぼゆるを、かくは人の思わで、この道理に背く心のみ有りて、いとど世も乱れ穏しからぬことにてのみ侍れば、これを思い続くる心をも安めんと思いて、書き付け侍るなり。
(2) 大日本は神国なり。天祖はじめて基を開き、日神長く統を伝え給う。(中略)ただ我国のみ天地開けし初めより今の世の今日に至るまで、日嗣を受け給う事よこしまならず。一種姓の中におきても、自ら傍より伝え給いしすら正に帰る道ありてぞ保ちましましける。これ、しかしながら神明の御誓あらたにして、余国に異なるべきいわれなり。そもそも神道のことはたやすく顕さずということあれど、根元を知らざれば猥りかわしき始めともなりぬべし。そのついえを救わんがために、いささか勒し侍り。
(3) 本朝天下の大勢、九変して武家の代となり、武家の代また五変して当代に及ぶ、(中略)鎌倉殿天下の権を分たれし事は、平清盛武功によりて身を起こし、遂に外祖の親をもて権勢を専にせしによれり。清盛かくありし事も、上は上皇の政乱れ、下は藤氏累代権を恣にせしに傚いしによれるなり。されば、王家の衰えし始めは、文徳幼子をもて世継となされしによれりとは存ずるなり。尊氏天下の権を恣にせられし事も、後醍醐中興の政正しからず、天下の武士、武家の代を慕いしによれるなり。尊氏より下は、朝家はただ虚器を擁せられしままにて、天下は全く武家の代とはなりたるなり。

 

問1 それぞれの著者名と書名を書け。
問2 各文章に見られる著者の歴史のとらえ方の特徴について、その時代の思潮や政治動向と関わらせて説明せよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解答

 

1(1)慈円。愚管抄。(2)北畠親房。神皇正統記。(3)新井白石。読史余論。2愚管抄はそれまで合戦の起きたことのなかった京都を舞台にした保元の乱が起きたことで衰退していく貴族の運命と、武士が政争に使われたことによる武士の台頭を末法思想の影響を受けつつ、歴史は必然的な「道理」に基づき展開するという史観に立って叙述している。神皇正統記は全国的な統一政権としての幕府を開こうと目論む足利尊氏が立てた光明天皇側の北朝と、建武の新政からの引き続く天皇親政を行おうとする後醍醐天皇側の南朝間の抗争が続く中で書かれ、渡会家行の説いた伊勢神道や朱子学の大義名分論の影響を受けつつ、南朝の正当性を主張した。読史余論は白石が江戸幕府の権威上昇をはかった正徳の政治を行っている間に書かれたもので、歴史を段階に区分してとらえ、独自の九変五変論を展開しながら公家政権から武家政権への変化の過程をたどり、江戸幕府の正当性を主張した。(398)

 

 

 

 

問題文引用元 つかはらの日本史工房