1985年 | 一橋大学日本史

1985年

第一問

 

室町時代には禅宗の寺院で学ぼれていた儒学は16世紀末に寺院から独立し、林家のように幕府に登用される者や、17世紀の藩政に大きな影響力をもった者も現われた。また、朱子学に批判的な学派や、幕府政治の改革に発言したり従事したりする学者も出現した。こうした儒学の展開を、17世紀初頭から1720年代までを念頭において略述せよ。そのさい、(1)それぞれの学派・学者の学風の特色、(2)幕政および藩政とのかかわりに留意して、学問と思想の発展の流れが理解しやすいように記述せよ。(400字以内)

 

 

 

 

 

 

解答の流れ

 

朱子学の説明

家康の羅山、綱吉の信篤登用(林家は代々幕府に仕える)

家宣、家継の時代は白石が正徳の治

山崎闇斎は保科正之に仕える、垂加神道の創始

陽明学の説明

熊沢蕃山は池田光政に仕える、幽閉される

古学の説明

聖学派の山鹿素行が朱子学批判、処罰される

伊藤仁斎は古義堂で、

古文辞学派の荻生徂徠は蘐園塾で自説を講義

徂徠は吉宗の顧問となり経世論を展開

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二問

 

次の文章を読んで、下記の問い(1)~(3)に答えよ。(400字以内)

 

 帝国議会の開設にむけて、政府は1881(明治14)年の政変から1889(明治22)年の憲法発布の間に、地方制度や官僚制、軍隊、議会、皇室(ア)など多方面にわたる国家制度の整備を進めた。その後、日清戦争を経て、日本資本主義の発展、政府と政党の関係の変容、藩閥内部での政党に対する対応の変化などがおこり(イ)、第一次山県内閣の下で、官僚、軍隊、選挙の各制度の改革と治安立法の制定(ウ)がおこなわれた。

 

(1) 下線部(ア)のそれぞれの改革の具体例を示し、それらがどのような時代背景のもとで何を目的に実行されたかを説明せよ。具体例には詔勅類を含めてよい。
(2) 下線部(ウ)にあげられているそれぞれの改革または法律の名称を記せ。
(3) 下線部(イ)の内容を具体的に述べ、それらと下線部(ウ)の各改革との関係を明らかにせよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解答

 

(1)開国以来、日本は列強の圧倒的国力の前に屈していた。そこで近代的立憲国家確立のため、市制・町村制を制定し、地方自治制を確立した。また、太政官制を廃して内閣制度を制定し、議会は貴族院と衆議院から成る2院制とした。さらに徴兵令を改正し、従来の免役規定・代人制を廃して国民皆兵原則の軍隊を確立、また、皇室典範を制定し、皇位の継承などについての法的根拠を与えた。(2)文官任用令の改正。軍部大臣現役武官制の制定。選挙人の納税額を直接国税10円以上に改正。治安警察法の制定。(3)日清戦争後、藩閥政府と政党の連立内閣が出現し、政党の影響力が増大したため、文官任用令・軍部大臣現役武官制によって政党の力がそれぞれ官僚・軍部に及ぶのを防いだ。紡績業などに見られる資本主義の発達で工場制工業が普及し、賃金労働者が増加した。彼らは待遇改善や賃金引上げを要求してストライキを起こしたため、政府は治安警察法により労働運動を取り締まった。(400)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三問

 

次の文章を読んで、下記の問い(1)~(4)に答えよ。

 

 1931(昭和6)年12月、第2次若槻内閣が総辞職(1)したあと、犬養毅を首班とする政友会内閣が成立した。犬養内閣の蔵相高橋是清は前内閣の蔵相井上準之助とは対照的な財政・金融・貿易政策を展開した(2)。これにより日本はドイツとならんでいち早く恐慌からの脱出に成功(3)したが、他方で、諸外国との経済的摩擦を強めることとなった(4)。

 

(1) 第2次若槻内閣の総辞職の理由をのべよ(100字以内)。
(2) 高橋蔵相の財政・金融・貿易政策の特徴を井上蔵相のそれと対比してのべよ(180字以内)。
(3) 恐慌からの脱出過程で、日本経済の産業構造は大きく転換した。その特徴を簡単に記せ(60字以内)。
(4) 経済的摩擦の内容を説明せよ(60字以内)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解答

 

(1)関東軍が満州事変を起こすと第二次若槻内閣は不拡大方針を声明したが、世論・マスコミは軍の行動を支持した。関東軍はさらに戦線を拡大し、内閣は事態の収拾に自信を失って総辞職した。(87)
(2)井上蔵相は財政を緊縮して物価の引き下げを図り、産業の合理化を促進して交際競争力の強化を目指した。さらに旧平価による金輸出解禁を行い、外国為替相場の安定と経済の抜本的整理を図った。それに対し高橋蔵相は金輸出再禁止を断行し、円の金兌換を停止して管理通貨制度に移行した。また、円為替相場の大幅な下落を利用して植民地への大量輸出を行った。(166)
(3)軍需と保護政策とに支えられて重化学工業がめざましく発達し、繊維などの軽工業中心から重工業中心へと変化した。(54)
(4)円安のもとでの自国植民地への輸出拡大はイギリスをはじめ、列強から「ソーシャル=ダンピング」であるとの対日批判を浴びた。(60)

 


※(1)では教科書に「世論・マスコミは軍の行動を”熱烈に”支持した」と記載されているが、論述ではこういった文学的表現は避ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

問題文引用元 つかはらの日本史工房