1983年 | 一橋大学日本史

1983年

第一問

 

次の文章を読んで、下記の問い(1)~(4)に答えよ。(300字以内)

 

 明治政府は、1871年、封建的身分制度を廃して、(ア)原則的には四民平等を定め、翌年、(イ)全国的な戸籍編制を行ったが、それはわが国近代戸籍制度のはじまりとなった。 この戸籍編成は、わが国のひろい意味での戸籍の歴史からみると、第3回目の全国的戸籍編成であった。そして、その最初の全国的戸籍編成と、(ウ)第2回目のそれとの間には、(エ)長い時間的空白があったのである。

 

(1) 下線(ア)の部分について、具体的に記せ。
(2) 下線(イ)の部分について、これによって国民がどのように編成されたか、その結果どのような問題が残されたかを述べよ。
(3) 下線(ウ)の部分について、その編成の目的・方法の特徴をあげながら、具体的に説明せよ。
(4) 下線(エ)の部分について、その空白の時代とはいつか、またその長い空白の理由は何かを記せ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解答

 

1平民には苗字が許され、職業選択の自由なども認められた。また身分解放令により旧来のえた・非人などの称を廃し、制度の上では平民同様とした。2壬申戸籍では華・士族、平民という新たな族籍に基づく戸籍編成が行われたが、旧被差別部落民に対する差別は存続した。3禁教の徹底を図るため、家族ごとに宗旨と檀那寺を記載した宗門改帳は後に人口調査の人別改と合わされて宗門人別帳となり、戸籍の役割を果たした。4平安時代から江戸時代初期。浮浪・逃亡や偽籍、初期荘園の増加により戸籍が形骸化したため、平安から鎌倉には戸籍が作成されなくなり、また鎌倉後期以降は年貢を村全体にかける村請制が採られたため、戸籍作成の必要が無かった(300)。

 

 

 

 

 

 

問題文引用元 つかはらの日本史工房