蓼食う虫も好き好き -11ページ目

蓼食う虫も好き好き

自分が何科のなんという虫かはわかりませんが、時々見つけた蓼を齧ってみたいと思います



  センスがいい


  


  



  「多く『「夫』は彼の妻の肉体の形状について、恐らくは巨細にわたって、

   足の裏の皺の数までも知り尽くしていることであろう。ところが僕の妻は

   今まで僕に決して見せてくれなかった。情事のトキに自然部分的にところ

   どころを見たことはあるけれども、それも上半身の一部に限られていたの

   であった。情事に必要のないところは絶対に見せてくれなかった。僕はた

   だ手で触って見てその形状を想像し、相当素晴らしい肉体の持ち主である

   と考えていたのであって、それ故にこそ白光の下に曝してみたいという念

   願を抱いた訳であったが、さてその結果は僕の期待を裏切らなかったのみ

   ならず、寧ろ遙かにそれ以上であった。

   僕は結婚後始めて、自分の妻に全裸体を、その全身像の姿に於いて見たの

   である。彼女は明治44年生まれであるから、今日の青年女子のような西

   洋人臭い体格ではない。(中略)たとえばその胸部は薄く、乳と臀部の発

   達は不十分で、足もしなやかに長いのは長いけれども、下腿部がややO型

   に外側へ湾曲しており、遺憾ながら真っ直ぐとは云いにくい。殊に足首の

   ところが十分に細く括れていないのが欠点であるけれども、僕はあまりに

   西洋人臭いすらりとした脚よりも、

   いくらか昔の日本婦人式の脚、

   私の母だとか叔母だとか云う人の歪んだ脚を思い出させる脚の方が懐かしくて好きだ。


   のっぺらぽうに棒のように真っ直ぐなのは曲がらなさ過ぎる。胸部や臀部

   もあまり発達しすぎるたのよりは中尊寺の本尊のようにほんの微かに盛り

   上がりを見せている程度のが好きだ。」

                                     谷崎潤一郎 『鍵』より


  


   わたしは、自分がO脚だということもあるが、

   やはり、あしは真っ直ぐ のほうが好きだ


   あしからず

  数時間前に、例のタイ人の友人に指示されて、


  さるタイ人を、とあるところから、とあるところまで送った



  もう少しでとあるところに到着する直前、さるタイ人が言った


  『遠いでは、あ~りませんか』と



  タイ語で遠いの発音をカタカナで記すと、『グラィ』となる


  ちなみに、タイ語で近いの発音をカタカナで記すと、『グラィ』


  実際の発音は、カタカナで記すと、『ガィ』に近い


  タイ人でも実際のところ、微妙なところなんだろうが、


  近いの方を、『グラィ、グラィ』と続けて発音し、混同を避けているらしい



  



  ほんでもって、卵の発音をカタカナで記すと、『カィ』となり、


  『鶏』の発音をカタカナで記すと、『ガィ』となる



  カタカナ表記ではそうなるが、タイ人は声調で使い分けている


  (わたしだけかも知れないが)日本人が聴く限り、全部『カィ』である


  その時の会話の内容で判断するしかない



  ちなみに、『誰』がカタカナで敢えて記すと『クラィ』で、これも『カィ』だ



  『名前は何ですか』は、タイ語で『チューアライ?』

  荒井注が何度も、『チュウ・アライ』と言っても、

  何度も、『チューアライ?』と問い返されて、

  『なんだ、ばかやろう』

  が出てしまうのではないか、

  という記事をいつか書いた(いつのことだか、探すのがめんどくさい)



  この、「普通の日本人が聴くと、全部『カィ』問題」は、


  荒井注が御存命だったら、国際問題に発展したかもしれない





                                        ってか?



  

   甲斐バンド


  


   甲斐バンド デビュー曲

  


   
   ユーチューブのあなたへのおすすめを追い続けているうちに、


   坂本冬美の名前が出てきた、その瞬間


   『福沢のオヤジ』を思い出した


   あなたの隣にいるかもしれない『福沢さん』では、多分無い



   この人は、ほとんど世捨て人に近い暮らしをしていて、


   わたしが土建業界にいた頃の関連会社のアルバイト員だった


   わたしの会社の方が一応親会社に当たり、


   当時のわたしの担当業務上(課員一名の総務部管理課長だった)、


   結構触れ合う機会が多かった



   その触れ合う機会の殆どが、まあ、飲み会だったのであるが、


   良く連れ立って飲み歩いた



   その飲み歩いていた店の一軒が寿司屋だった


   決して高級寿司屋ではない


   というか、たとえば「ちらし」なんぞを頼むと、


   儲けはそう考えず、お客のために、


   切り身が器からはみ出すのはいいけれど、へたをすると切り身が


   着地 をしているような代物だ


   そういう田舎の寿司屋でちびちびやっている折り、


   『福沢のオヤジ』は申したのだった



   坂本冬美はブスだった



   『福沢のオヤジ』は、さらに昔、


   信州人ではあるのだが、どういう因果か和歌山で暮らしていたらしい


   その当時、居酒屋で坂本冬美が隣に座ったというのである


   まだ売れない頃の坂本冬美だ


   ドサ周りの途中であったのだろう


   その時の『福沢のオヤジ』の坂本冬美への印象がそうだったらしい



   わたしが来年赤いおべべを召すことを考えると、


   『福沢のオヤジ』は、もう70を超えた『福沢のジジイ』だ


   元気でいるだろうか



   ついでに言うと、


   この寿司屋のおかみが好きだった歌が、



   


   
   で、


   この寿司屋でわたしが歌って一番受けたのが、


   



   だ



    はあ、つかれた