タイトルは、『恩義』ということだ
きょうも不動産物件を2件当たった
例のタイ人の友人の外国人住処支援の一環だ
かれこれ、何ユニットの面倒を見て来たのだろうか
記録魔のわたしをして、記録を顧みても定かでは無い
メンバーがだぶったりしている場合があるので、
正確なユニット数がわからないのだ
家族の場合あり、友人同士の場合あり、俄か組み合わせあり、
と、さまざまな連中に住処を提供してきた、例のタイ人の友人は
今現在は、7ユニットの面倒を見ている
面倒というと些か上から目線となるが、
立場的には、共存共栄ということだ
具体的には、住処の家賃、光熱費を一旦預かった上、
例のタイ人の友人とわたしの名義及び責任の元、納める
その他の要求ごとにも出来うる限り対応する
しかし、率にすれば二割ほどになるだろうか、
トンズラするユニットがいる
そのケツ拭きは、わたしたちが受け持つことになる
共存共栄の心算でやっているわたしたちに、
『恩義』を感じないどころか、後ろ足で砂をかけていく連中がいるのだ
共存共栄というのは、例のタイ人の友人が雑貨屋を兼ねたレストランをやっているので、
いってみれば広告塔の役割を彼らに望んでいるわけなのであるが、
そこのところを履き違える連中がいたりするということなのだ
決して吹っ掛けているわけではないので、
トンズラする輩が出た暁には、例のタイ人の友人は赤くなる
気持ちに対して、気持ちで応えられる
そういう世の中をわたしは望む
金ではない、気持ちだ(上の10パーセントには、負け犬だと思われようが)