『なにさらしとるんじゃ、われー』
と、思いながらアップグレードした『窓十』は、
当然(賛同する御人のほうが多いと思う)『窓七』に戻った
『窓十』は使いにくい上に、なんか怪しい
怪しいものはいっくらでもある
『復讐するは我にあり』を読み直した
何事も、紙一重ということを再認識した次第
自分だ
厳密に言うと、『自分』というものは存在しない
関係性の中ではじめて存在し得る『自分』だ
さりとて、敢えて手首に刃物を当て、気持ち滑らせてみれば・・・
『痛い』と認識する『自分』は居る
そこをどう認識するかが、この世に存在していると思っている皆の衆の、
分かれ道なのだと思う
自分が自分だと思っている自分が、
自分が自分だと思っている他人と、
どう接するか、
それが、全てだ