GyaOで 「アマゾンを行く」 というドキュメンタリーを観た。
食物連鎖のピラミッドのなか、それぞれの生物が、それぞれの環境の下、頑張っている。
このてのドキュメンタリーでは当り前だのクラッカーだが、生物の 「お食事」 のシーンが出てくる。
痛いだろうなーとは思いつつも、割と平気で見てしまう。
以前、 「COSA NOSTRA」 というサイトを紹介したが、
そのてのサイトで今は、 「怖いYou Tube」 というサイトをたまに見る。
劣らず、過激な映像がテンコモリなのだが、どうしても見ることがはばかられるのは、
「お食事」以外で、生物が生物を傷つける映像だ。
「お食事」 というのはあくまでも自然なことである。
生物が、生物がとして生在していくには、これ致し方がない。
だが、 「お食事」以外で、故意に傷つけるということにはわたしは拒否反応が強い。
これはDNAに埋め込まれた、遥か彼方からの記憶によるものなのだろうか。
気の遠くなるような時間を経て蓄積されてきた記憶が、そうさせるのではないのか。
な~んて想ったのだが ・・・・・
現実、平気で人やら他の動物を殺してしまう輩は表に出るだけでも※だだくさもない。
※ 多いという意味の長野の方言。
長野の方言のサイトにすら
載っていなかった
ていうことは、そもそもDNAにそんな記憶は刷り込まれていないのか。
あるいは、そんな行為がいずれDNAに刷り込まれていくのか。
な~んて想ったのだが、そんな心配それこそ無用か。
この足元がなくなる方が先だ、多分。