わたしの友人に、名を 「寿」 と言う人がいます。
ときどきこのブログに登場する 秋田のとぼけたオッサン に、
あるとき又別の友人が尋ねました。
「寿」 これを何と読むかを。
大抵のひとは 「ひさし」 と読みます。実際その友人も 「ひさし」 なのです。
ところが、秋田のとぼけたオッサンは、自信無げにこう読みました。
「てっ・・・」
「てっ・・・・・?」
「てら?」
それ以来、その友人のあだ名は 「おてら」 となりました。
南京玉すだれ(さらに端折りました)、
こちら はいかがでしょうか?
わたしもタイに行く際は、必ずどこかの寿、もとい、お寺を訪ねます。
わたしも葬式仏教徒ではありますが、タイのお寺は、日本の神社仏閣を訪ねるのとは又別な
趣があります。
小乗仏教(これは差別語なのだそうで、上座部仏教と言った方がよろしいようです)の国ですから、
お寺そのものの存在意義がそもそも違います。
紹介したHPにも出てきますが、僧侶は直接お金に触れることができません。
その他、僧侶にはもろもろの厳しい戒律が課せられています。
それゆえ、僧侶はかの国においては俗世のひとびとから非常に敬われています。
※近年はオイタをする僧侶もぼちぼちおわしますようで、
厳格な宗教の世界でも様変わりが起きてきている模様です
タイでは 「一時出家」 という制度があります。
日本での成人式に近い意味があるのですが、そういうお国ですから、
「一時出家」 をすることには格別に重要な意義があり、それを無事勤め終えた暁には
つまり、再び俗世に戻ったときには、その人間は尊敬の念をもって迎えられます。
なんか違和感をおぼえますが、出世にも影響するみたいです。
4月20日に成田を後にしたわたしのタイの友人は、実はタイにいる息子の 「一時出家」 の
パーティーを執り行うために帰ったのです。
「一時出家」 の前日、それを祝う盛大なパーティーが行われるのです。
そして、次の日、すなわち 「一時出家」 に入る日、修業をするお寺へのパレードがあり、
そのまま 「一時出家」 に突入するのです。
わたしもこのパーティーとパレードは1回出席しました。
飲めや、食えや、挙句のはては、以前書いた結婚式と同じようにステージがあり、
芸能人が歌ったり、踊ったりと、この世の欲のオンパレードです。
これできっぱり俗世とはオサラバしなさいとでもいうのでしょうか。
そこら辺のギャップが面白いところです。
ともあれ、5月1日に無事済んだとの連絡が入りました。
タイに行ったときに撮った写真のネガがたくさんあります。
順次デジタル化してこのブログにアップしようと思っています。