男子バレー16年ぶりのオリンピックへ | 銀幕と緑のピッチとインクの匂い

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映画は洋画、それも古い映画が大好き。本は外国文学。ドラマは洋物。サッカーは海外チームと代表の応援、という思いっきり偏った嗜好で、天の邪鬼に感想を語ります。但し、脱線話題多し。

 男子バレーが北京オリンピックの出場権をもぎとりました。アルゼンチンとフルセットにもつれる接戦。第5セットは、常に先を走りながら追いつかれ、マッチポイントを握られては追いつかれ、逆に相手にマッチポイントを握られ…今までの日本なら、精根尽き果てて負けてしまってもおかしくない場面を支えたのは、オリンピックに行きたい!という信念だったのでしょうか。激戦を制して、日本は16年ぶりのオリンピック出場権を獲りました。


 敗れたアルゼンチンの選手は、これでオリンピック出場の夢がなくなり呆然と佇んでいました。昔から好きな国だけに凄く複雑です。元々、イタリアかアルゼンチンかどちらかしか出場権を獲れない大会でした。オリンピックにアルゼンチンがいるのは当たり前だと思っていただけにとても残念でなりません。長くアルゼンチンを支えてきたミリンコビックは、今大会に出場しませんでした。引退したのでしょうか。怪我でしょうか。代わりに、キロガの甥が頑張っていました。時の流れを感じます。アルゼンチンの監督は、ウリアルテなんですね。感無量。でも、アルゼンチンは若い選手が多いので、これからに期待が持てるでしょう。


 そして、そのアルゼンチンに競り勝った日本。最後のアタックを決めたのは、キャプテンの荻野でした。今や、オリンピックの舞台を知るただ一人の選手です。決まった瞬間、選手達が抱き合い涙にくれ、植田監督はコートに突っ伏して泣き、起きあがって客席に走り、大古と抱き合っていました。みんな涙。解説をしていた中垣内まで涙声でした。あのクールだったガイチが…。


 16年前。ところはバルセロナでした。日本チームのキャプテンは、現監督を務めている植田辰也で、選手は中垣内や、大竹や陰山っていたかしら?昔は、メンバーをほとんど言えたのに、すっかり記憶が遠くなりました。荻野は、ピカピカの若手で、同期に青山がいました。その一つ下の最年少が、まだ学生だった??南克幸や泉川でした。


 日本の初戦は、アメリカ。大好きだったスティーブ・ティモンズがカムバックした大会で、アメリカが勝ったものの、判定で後日その結果を覆され、日本の勝利になるという前代未聞のことが起こりました。一人責任を感じたサミュエルソンがスキンヘッドにしてしまい、共感したチームメイトたちもみんなスキンヘッドにしてしまって、スキンヘッド軍団となったアメリカ男子は、初戦の悔しさを胸に頑張って、銅メダルに輝きました。優勝はブラジル。金メダルシーンでは、コートの中に観客がなだれ込んできて、選手と抱き合い、踊り合う大変な騒ぎでした。バレーボールでこんなシーンを見るのは勿論初めてで、心底仰天したものです。


 岩崎恭子が、「今まで生きてきた中で一番幸せ」な金メダルを獲り、有森がモンジュイックの丘を駆け上がり、フレディ・マーキュリーの♪バルセロナ~が流れていました。それが16年前。22歳ぐらいだった荻野君は、38歳になりました。キャプテンは、監督になりました。16年は、短いようで長いです。


 男子バレーは、80年代ぐらいからいわゆる西側諸国がグングン力をつけるようになり、群雄割拠の状態となってしまいました。日本が弱くなったのもあるけれど、世界がさらに強くなってしまい、日本は太刀打ち出来なくなりました。その結果がこの16年間のオリンピックへのご無沙汰となったわけです。その間に沢山の選手が日本のユニフォームを着て、夢を果たせず去っていきました。今の日本がオリンピックでメダルを狙うのは、正直なところ大変難しいでしょう。でも、今は出場出来ただけで素晴らしい。素直に喜んで良いことでしょう。


 チームの屋台骨を支えた荻野君。2度目のオリンピックですね。最後の彼の得点は、神さまが頑張り続けた彼にくれたプレゼントだったでしょう。そして、この16年間、コートで悔し涙を流した選手たちの無念も、北京に持っていてあげて欲しいと思うのです。おめでとう、日本男子チーム。