カノッサの屈辱 | 銀幕と緑のピッチとインクの匂い

銀幕と緑のピッチとインクの匂い

映画は洋画、それも古い映画が大好き。本は外国文学。ドラマは洋物。サッカーは海外チームと代表の応援、という思いっきり偏った嗜好で、天の邪鬼に感想を語ります。但し、脱線話題多し。

 今日は、カノッサの屈辱の日だそうです。テレビ番組の話ではありません。1077年1月25日から3日間、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世が教皇に対してお詫び行脚を行った歴史的事件のことです。


 神聖ローマ帝国とは、中世にヨーロッパの中部にどーんと存在していた大きな帝国のことです。ローマなのに、何でハインリヒって名前なの?と思われるでしょうが、ドイツ、オーストリアからイタリア北部などを中心にした帝国でして、この帝国がやがて解散してオーストリア帝国やドイツの諸国家になっていったのですね。確か。


 で、当然そこの皇帝さんは大きな権力を持っていたわけです。それ故に、自分の好きなように次々と司教さんを任命していったことに、教皇のグレゴリウス7世が怒り、司教の任命権は教会にあることを通達して、皇帝様を破門して皇帝の地位から追い出そうとしたわけです。勿論、皇帝も怒ります。そこで、自分で会議を開いて教皇を早い話、くびにしてしまったわけですね。つまり、皇帝さんと教皇が共にお互いをくびにしあったわけです。


 こういう争いが起きると、当然どちらにつこうか考える人たちが出てきます。日頃からハインリヒ4世のことを快く思っていなかったドイツの諸侯さんたちが、教皇側につき、教皇に謝らないと皇帝を退位させるぞ、と会議という名で脅したわけです。


 こうなってはどうしようもなくなったハインリヒ4世が、カノッサにお詫び行脚を行った、この歴史的事実をカノッサの屈辱というわけです。その後、二人は幸せに暮らしましたとさ、と言いたいところですが、そうもいかなくて、またまた争いが起こり、今度は皇帝さんが武力で攻め入って、教皇は命からがら逃げ出したサレルノでその生涯を終えました。


 良くある争いと言ってしまえばそれまでですが、皇帝さえも教皇の前に跪くという、教皇の権威の象徴として意味深い話ではあります。何か、皇太子妃時代のマリー・アントワネットとデュ・バリー夫人の争いを思い出してしまうのは私だけでしょうか?「今日はベルサイユは大変な人ですこと」ってあれ。


 世界史のプロフェッショナルでも何でもないので、どこか間違っていたら、教えて下さいね。


西欧中世史事典〈2〉皇帝と帝国/ハンス・クルト シュルツェ
¥3,675
Amazon.co.jp

ローマ教皇事典/マシュー バンソン
¥7,350
Amazon.co.jp