いじめを本気でなくすには
マスコミは勝手なものだから、一時期あれだけ騒いでいたいじめ問題もほとんど報道せず、最近は女性蔑視発言や情報番組の捏造問題に熱心だ。
マスコミで取り上げられずとも当然いじめ問題は解決したわけではなく、どの学校にも根強く残り、また次々に発生しているはずだ。
そもそもこの問題は新しいものでもなんでもなく、もう何十年も昔から、あるいは人間が集団生活をするようになってからずっとあるような問題ではないのか。それを今になって国が委員会を立ち上げるというのもおかしな話だ。
集団生活には切っても切れないこの問題を政府がどう解決するのかわからないが、わたしは今の学校制度が続く限り、いじめた生徒を出席停止にしようがいじめられた生徒を別のクラスに移そうがそれは所詮事後処理に過ぎず、根本的な解決にはならないと思う。
子供は自分と違う相手に対して不快に思う傾向があるから、いくら大人が「いじめはやめよう」といったところで子供は変わらない。子供が変わらないのなら学校制度を変えるしかない。
現在の学校の多くは学級制度を採っており、そのクラスは常に行動を共にする。国語をならうときも体育をやるときもほとんど一緒だ。だからクラスはある種村社会であり、当然仲のいい生徒同士でグループ化されるしまた仲間はずれも生まれる。そしてそれはいじめにつながっていく。
いじめの発生について上記のような仮説をたてると、いじめを防ぐには学級制度を廃止すべきという結論につながる。
わたしの考える非学級制度は大学の制度に近い。大学は多くの授業が選択性だから学級制度はとりあえずあっても別々の行動をとることが多い。むしろ他の学級の生徒と授業を受けるケースがほとんどだ。
高校までの学校制度でこのシステムを取り入れてはどうだろう。
高校までは大学のように授業を選択して受けることはほとんどない。しかし、国語や数学など必修科目を必要時間履修することを前提に、自らカリキュラムを組むことに何の問題もないはずだ。
同じ時間にある生徒は数学を、ある生徒は社会を学ぶ。生徒が自ら授業を選ぶわけだから、教師も当然選ばれる形になる。これまで受身姿勢で受けていた授業を能動的に捉えられるし、教師側ものうのうとしていられないだろう。
結果、学校の村社会はなくなり、仲間はずれなどなるほうが難しくなる。何より、友達を作ることが得意でない生徒にとって、学年全体から仲のよい生徒を見つける機会を与えられる。いじめだけでなく登校拒否も減るのではないか。
授業選択性の採用により、いじめだけでなく登校拒否の減少、さらに生徒の自主性や教師の指導力の向上が見込まれる。
わたしの勝手な仮説に基づくこととはいえ、やってみる価値は大いにある。しかし、このシステムは生徒にはよくとも教師側にメリットは少ない。
授業カリキュラムの複雑化や、生徒に選ばれることへの重圧など、仕事がかなり大変になる。
制度を決めるのが学校側である以上、現場の教師の反対は必至だ。何かと理由をつけて拒否するだろう。
それを打破するためには国が決めるしかない。
特区でもなんでもいいから、とにかくやらせるべきだ。
政府レベルで検討しているからこそ言えることもあるのだから。