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無職(Lv23)が楽しくやりくりするブログ

色々出来る範囲でやるつもり

つまらないつまらない。お)されは苦しかった
俺は許せなくてなんとなくとかが止めでみんなは大概はそそれでいおわけでかなしい 
いきるいみなどないんや
教えてくれてて理科待とうかみさまちま(ゆ

もうおい富ますル脳でするな

さようなら
最高につまらない
とりあえず今週の金曜日、土曜日は試験が入って
これでよかったのだろうか?
と、思うが、他に楽しくなる方法も充実する発想も浮かばない
なら、確かに現状よりはいいはず
そうだ
俺は好きなことほどこだわりが強すぎてできない
なんとなく
適当に、いや適度に、頑張りすぎず、
言葉では難しいところだが、
サボることが重要なのだ
俺は好きなことはダメだ
これじゃダメだ、こんなものじゃあダメなんだって思って手を抜けない
これを捨てることはとても悲しいが
現状そうするより他がないのならそうするべきだ
そうでなければもういっそのこと意味なんてないのだと思ってしまいたい、のだけれど
それはまだやってはいけないのだと思い
自分を納得させよう
お金が手に入れば
次があるのかもしれない

こんなものだといえて
いや、俺こんなことをしているのかという気分になってしまう
なんとなくというのが難しくて
苦悩と言うのはその人にしかわからないし
そういう発想をする人が少なければ必然的にそれはマイノリティになってしまうので理解されにくい
俺は別にやりたいわけじゃない
トライしたい訳じゃあないのだけれど
たしかにいま、現状よりかは遥かにましになる想像が容易くないのだからそうするべきだ
俺には姉がいるのだけれど昔姉がいっていたことごわかってきた
見切りをつけたんだ
そうすることによって拓けたのかもしれない
わからないけれども

ともかく俺は最高に糞で最高につまらない日常を謳歌している
ただ、もっと最悪な人がいっぱいいるのはしっている
仮にそうなったら
いや、でもそういう人は逆に言えばしがらみが少ない
そうなってしまえば最悪だがある意味わからない
ともあれ、死んでいるかもしれないけれど

ともかく
俺は頭だけは悪くないのが救いだ
これで頭まであれだったら最悪だ
その時には死ぬべき人材なのに
死のうとするポジティブな意欲すらわかないだろう
いや、その発想すら持ち得ないだろう
といっても、特別に頭がいいわけではないけれども

俺は鬱病だった
前にパーソナリティー障害だと書いたのだけれど
主治医はそうじゃないといっていた
だけれど、家族とか本を読むほど症状は似通ってしまうのだけれど
まあ、素人が判断することではないのだ

人の自分がたり程つまらないことはない
だけれど、ここはネットでクリックひとつで離れることが出来る
そこが現実と違ってよいところだ
現実の浅い自分がたりほど退屈や苛立ちを伴うものはない

抗うつ剤を増やしたら
死にたいと言う気持ちが本当になくなった
こればかりは神の薬
一生飲みたい
あれから色々やってる
やってるんだが、やはり他の人のように目標が私にはないのだろうか?
まぁ、とりあえず。一人で生きてくための糧が必要だ。
だが、今はどこでも目標や将来、10年後、20年後を要求される。
もちろん、そんな未来のことは誰にもわからないのだけれど、確かに未来に向かって目標がある人は魅力的だ。
仮にそれが叶わなかったとしても、前進しようとする姿は美しいものだ。 
オレは何がやりたかったのか?
やりたいことがなくなってしまったと感じるけれども、それは病気というのも関連しているのだろうか?
怠けという感情と、怒りと呼ぶにはふさわしくない激情的な感情と、虚無感が支配している。
けれども、色々やろうとする姿勢になっているのは良いことだと感じる。
それをやりながらなにか見つかるかもしれないし、見つからなかったとしても前進しようとはしているのだから。

オレは嘘がつけない、自分にも相手にも。

医者の先生との会話は前進するきっかけにかなりなっている。
正直、自分の欠点をみつけることは苦しいが必要なことだと思う、たぶんこれは誰でも苦しい。
これが社会生活に影響を及ぼすほどかどうかで病気か否かを見つける行為。
誰でも一歩間違えれば、いや正しい道を選んでいたとしても、運が悪いだけでもなってしまうことがあるかもしれない。
特にこれからは。

激情的な感情になることは多い。
そんなとき、風の音を聞いたり、自然に癒されたり。
自然は良い。人が押さえられないほどのパワーをもちえながら優しく包み込んでくれることも事実だ。人ほど包み込む余裕がある人は少ない。
けれども、人がすべて悪いとは思わない。
今は人と人が常ににらみ合わなければならないという感情になるほど、余裕がない。
根から軽蔑するべきような人もいるが、大半は生活に押し潰されているように感じる。
もちろん、例外はあるけれど。

ともかく、人のことより自分を何とかしろという話なのだけれど。
アイディアはある。
けれども、金銭的に難しかったり、勇気がでないというのごまた事実だ。
もう、いわゆる普通にいきるのは難しいとも感じる。
けれども、別に悪いことをしているわけではないので胸を張って歩いてれば良いと先生には励まされるのだけれど。

とにかくチャンスがあればやはり街を出るのがいいと思う。これは先生も同意のようだ。
良い思い出もあるかもしれないが、憎しみばかりが募り、自分を押し潰すか、街を押し潰すか。
しか、今は考えられないのだから。
オレは一人でやっていく自信がないのだけれど、やれると言ってくれる。
オレができないと思っていることと、医者ができないと思っていることは違うようだ。

誰でもだろうけど、求められたり、人として最低限でも尊重される場所へ居所へ身を置きたい。
だが、死んでしまっては可能性はゼロになってしまう。仮にそれは何歳であっても可能性はある。
確かに高齢者が今からオリンピックに出たいというのは難しいと思うが、より良く生きたい、あるいは、美しく生きてしにたいというのは生きている限りゼロではないんだ。
それを信じようと思う。