あれから色々やってる
やってるんだが、やはり他の人のように目標が私にはないのだろうか?
まぁ、とりあえず。一人で生きてくための糧が必要だ。
だが、今はどこでも目標や将来、10年後、20年後を要求される。
もちろん、そんな未来のことは誰にもわからないのだけれど、確かに未来に向かって目標がある人は魅力的だ。
仮にそれが叶わなかったとしても、前進しようとする姿は美しいものだ。
オレは何がやりたかったのか?
やりたいことがなくなってしまったと感じるけれども、それは病気というのも関連しているのだろうか?
怠けという感情と、怒りと呼ぶにはふさわしくない激情的な感情と、虚無感が支配している。
けれども、色々やろうとする姿勢になっているのは良いことだと感じる。
それをやりながらなにか見つかるかもしれないし、見つからなかったとしても前進しようとはしているのだから。
オレは嘘がつけない、自分にも相手にも。
医者の先生との会話は前進するきっかけにかなりなっている。
正直、自分の欠点をみつけることは苦しいが必要なことだと思う、たぶんこれは誰でも苦しい。
これが社会生活に影響を及ぼすほどかどうかで病気か否かを見つける行為。
誰でも一歩間違えれば、いや正しい道を選んでいたとしても、運が悪いだけでもなってしまうことがあるかもしれない。
特にこれからは。
激情的な感情になることは多い。
そんなとき、風の音を聞いたり、自然に癒されたり。
自然は良い。人が押さえられないほどのパワーをもちえながら優しく包み込んでくれることも事実だ。人ほど包み込む余裕がある人は少ない。
けれども、人がすべて悪いとは思わない。
今は人と人が常ににらみ合わなければならないという感情になるほど、余裕がない。
根から軽蔑するべきような人もいるが、大半は生活に押し潰されているように感じる。
もちろん、例外はあるけれど。
ともかく、人のことより自分を何とかしろという話なのだけれど。
アイディアはある。
けれども、金銭的に難しかったり、勇気がでないというのごまた事実だ。
もう、いわゆる普通にいきるのは難しいとも感じる。
けれども、別に悪いことをしているわけではないので胸を張って歩いてれば良いと先生には励まされるのだけれど。
とにかくチャンスがあればやはり街を出るのがいいと思う。これは先生も同意のようだ。
良い思い出もあるかもしれないが、憎しみばかりが募り、自分を押し潰すか、街を押し潰すか。
しか、今は考えられないのだから。
オレは一人でやっていく自信がないのだけれど、やれると言ってくれる。
オレができないと思っていることと、医者ができないと思っていることは違うようだ。
誰でもだろうけど、求められたり、人として最低限でも尊重される場所へ居所へ身を置きたい。
だが、死んでしまっては可能性はゼロになってしまう。仮にそれは何歳であっても可能性はある。
確かに高齢者が今からオリンピックに出たいというのは難しいと思うが、より良く生きたい、あるいは、美しく生きてしにたいというのは生きている限りゼロではないんだ。
それを信じようと思う。