あれはスポーツスターだ。たぶん70年代のものだろう。クラッシックバイクのくせに、信号ダッシュの素晴らしさは流石のトルク太だった。それもせいぜい120キロ、良くても130キロまでの話で、高回転の伸びはDOHCのZに分がある。俺は深夜の環七で、不意に俺をぶちぬいたハーレーを追いかけていた。
信号の相性が良ければ俺が軽くブッちぎるに決まっていたが、そのスポーツスターは160キロを越えてなお加速の衰える事は無かった。
くそぅ、こいつイジってやがるな?一般公道を180キロで疾走する二人には、もはやお互いに感心が無いとは言えなかった。何をどうイジれば、こんなポンコツOHVが160から加速するのだ、前を行くニクいあいつの股下から、プッシュロッドのガチャガチャいうエンジンノイズが伝わってくる。
ままよ、とこれ以上回らないところまでアクセルをねじ上げた。高回転の伸びで、まだまだ優位を予感したのは、俺のZだって伊達にいじっていない、ということだ。メーターは200キロの目盛りを越えて更に伸びた。
すれ違いざまにハーレー野郎をちらと見ると、フルフェイスの後ろからはみ出たロン毛が、鞭打つ様に背中を叩いていた。


扱い辛い70年代の、しかも何処ぞをいじってあるハーレーを、まさか女の子がブン回しているとは驚きだった。
信号待ちの度にフルフェイスのシールドを上げるが、その中にバッチリとキメたアイシャドウのまなざしが、まるでディズニー映画に出てくる魔女の様であり、長いつけマツゲが「これでもか!」とばかり天に向かって反り返っていた。    
「姐さん、イケてるねぇ」
何度目かの信号待ちのとき、たまらず声をかけた。彼女は一瞬俺を見たがすぐに目線を前方に据えて
「関係ないでしょ」
と、クールを装った。
「あんた速いよ。名前は?」
応えないだろうと思ったら、意外にもあっさり「ヨーコ」と教えてくれた。
「ねえヨーコ、どこいくの?」
「あんたがついてくるのをあきらめるところまで」
わざと俺をムカつかせようとしているのか、そうじゃなきゃ相当スカした姐ちゃんだ。
「俺、ヒデっての。ヨロシク」
名乗り終わる前に彼女は、少しだけタイヤを鳴らしロケットダッシュでスタートした。


車がいれば、それはパイロンだ。深夜で車の少ない時間帯でも、180キロを越える猪突猛進なら、僅かに走る車さえ大きな障害物だった。
俺のZは70年代のか弱いフレームだ、高速走行をすると、車をかわすたびにヨーイングが出て不気味だったが、それよりもショベルのスポーツスターのハンドリングの方が更に不安定だろうな、と思った。
それをヨーコは見事に押さえ込んで乗りこなしている。
突っ張っているばかりじゃない、本当のクールを久しぶりに見た。
「ねえ、怖くないの?」
たぶん大田区のどこかの交差点だった。
シールドを上げた奥のまなざしがこちらを横目で見ていた。
「あ?そりゃこっちのセリフだぜ?あんたのハーレーはどんなフレームしてンだよ」
「フレームはノーマルよ。スタビだけ着けてるけど」
スタビライザーはガチガチに硬くしてあるのだろう、そうじゃなきゃハーレーのフレームでドゥカティの様には走れっこない。それなら、彼女の腕力はいかばかりのものか、推して知るべしだった。
そのとき、誰かが俺の左腕を掴んだ。黒い人影だった。
ヨーコも黒い人影にハンドルを抑えられていた。
「はい運転手さん、エンジンを切って車を路肩に寄せて」
交通機動隊だった。ミラーを見ると、黒いRX-7が赤灯も点けず、すぐ後ろに停車していた。俺たちはバトルの最中、交機の覆面をぶち抜いていたのだ。俺は一旦キーをオフにしエンジンを止めた。気取られないようにキルスイッチをオフにし、路肩に寄せるフリをしながらキーをオンにした。黒い人影は俺を誘導していた。
瞬間、キルスイッチをオンにし、セルボタン一発でエンジンを掛けると、アクセルを全開にした。まるでボクサーのパンチさながらの速さでその場を離脱、タイヤが鋭く鳴った。交機の野郎が俺の左の二の腕を掴もうとしたが、Zのトルクに適うことなく、俺は奴の腕をすり抜けた。
あとで見たら、腕に引っかいた跡が残っていた。



ヨーコ、あのときは置いてけぼりにしてゴメンよ。
でも確かに、キミが予言したとおり、キミの行くところまで俺は一緒に行けなかった。
あのとき、キミは警官に腕を抑えられながら、逃げていく俺の後姿を見送っただろう。背中にガルーダと書いてあったのを覚えているかい?なんて卑怯なやつ、と思ったかい?
でも、それは言いっこなしだぜ。お互い、分かっててやってたんだから。
あの時の俺のバイク、あれ、盗まれちゃったんだ。だから今の俺は翼の折れたエンジェルならぬ、翼の折れたガルーダなのだ。
キミはまだハーレーに乗っているかい?