嫌いの裏側には「わからない」がある。
こいつを攻略すれば「嫌い」の要素は減って行く。
わかりさえすれば何も憂う事は無い。
やっかいなのは、嫌いだと思うからこそめんどくさい、でも語りかけられたら反応しなくちゃと思ってしまう、ちょっと成長しかけの宙ぶらりんな感覚だ。
ああ、厄介だな、と思いながらも、そいつと話していると「嫌い」の向こう側から ちょっとだけ「ワクワク」が見えて来る。
この「ちょっとだけ」ってのが厄介の原因で、ズバリと自分の目の前までワクワクがやって来てくれればいいものを、中途半端に近付いたと思ったら「しゅわしゅわしゅわぁ~」っと遠ざかって行く。
まあ、そんな「厄介だな」の連続が「嫌い」を「好き」に変えるのだから、我々はやっぱりいろんなガマンをしなきゃならん、って事なのかな。
ガマンが嫌なら突き放してバイバイすればイイだけの話なんだけど、それじゃ勿体無いと思うからこそガマンして「嫌い」を「好き」に変えるんだ。
それって大事だよね。
頭のいい人なら「わからない」の大元をすぐに理解して、消化して、短時間に昇華させるのだろうけど、大抵の人は馬鹿だから、「嫌い」から抜け出すのに時間が掛かるのだ。
いくつになっても好き嫌いが激しいのだ。
夏目漱石の言うところの「とかく人の世は住みにくい」ってのはコレなんだよ。