ひょっとしたら誰でもそうかもしれないが、ご多分に漏れず俺だって自分を特殊な人間だと思っている。
優位な意味での「特殊」だ。
俺は空とぶ男。俺ほど空を上手に飛べる男はいない。
思うだけで空を自在に飛べるのは、恐らく人類初の快挙だろう。
空中浮揚みたいな、どこか胡散臭い技ではなく、意識すれば長時間、自在に好きなポイントに移動できる、それを考えれば、これは立派に「飛んでいる」と言って良いだろう。
そんな訳で、一躍時の人となった俺のもとには、飛びたい志願者が毎日の様に大勢押しかけた。
飛びたいのだ、と、熱い思いに突き動かされてやって来る志願者の多さに、ある日「飛ぶことに何のメリットがあるのか」考えてみた。大事なことは やはり「気持ちが良い」ということになるのだろう。移動が早いとか、墜落以外の危険な要素が無いとか、それらは小さな問題だ。純粋に気持ちが良いのだ。
人は気持ち良いものに惹かれる。車に乗るのだって、飛行機に乗るのだって、気持ちが良いから乗る。それと同じだ。



俺の飛行教室には、飛行の為の練習に必要な台がひとつある。
ちょうど小学校の校庭にある朝礼台の様な、それよりもうちょっと高いテーブル状の台。白くペイントされた佇まいは、まるでセブンティーズの西海岸。まるでカリフォルニアの青い空に、眩しく輝く白い台から、ゆっくりとテイクオフする。
テイクオフと言っても、並みの人間がいきなり空中に浮くことなど出来ない。最初は俺が手を差し伸べる。
俺の中から手づたいに飛行するエネルギーが伝播する。
生徒の体がゆっくりと浮かんだら、そこで俺はアドバイスする。
「飛べるだろ?今飛んでいるだろ?その『今、自分は飛んでいる』って意識を強く持ち続けるんだ!」
要領のいい者は その一言だけで浮くことが可能になる。
しかし、たいていの人間はそれだけじゃ「空を飛ぶ」までには至らない。 練習を繰り返すうち、いずれ自分の意思で移動出来る様になるだろう。一朝一夕になし得る事ではないのだ。



筋の良い男子生徒の一人が、自分のガールフレンドを連れてやってきた。飛行の気持ち良さを彼女にも分からせたい、分かち合いたいのだと言う。
まだ20歳の彼女は小さくて美しかった。その美しさに惹かれた俺は、いつもよりも心臓の鼓動を早くしていた。
俺は彼女と手を繋ぎ、何食わぬ顔でいつもの様に指導した。
彼女は浮かない。
どうやっても浮かない。
おかしいな、こんな例は今まで無かった筈だ、なぜ急に浮かなくなった?
すると、彼氏が手を差し伸べた。
彼のエスコートで彼女は浮いた。
俺は嫉妬した。
彼と彼女はお互いに顔を合わせながら浮いた。浮きながら笑った。



俺は目が覚めた。
いつも通りのけたたましいベルの音。時刻は午前5時。いつも通りの一人暮らしの寂しい部屋、いつも通りの起床時間だった。重い体を起こすと、俺はベランダに置いた椅子に座り、タバコに火をつけた。東の空には既に熱い太陽が昇っており、しばし見ていると ゆっくりと上空に移動している様子がわかった。あと10分、このままぐずぐずしていると遅刻しそうだ、あわててワイシャツを着込み、ネクタイをウインザーノットで結ぶと、いつも通り、取り柄の無い一介のサラリーマンになって階段を駆け下りた。


夏の入り口の午前6時、青空を仰ぎ見て、俺は飛べる筈だろ?と自問した。