死ぬ夢を、よく見る様になった。
今までだって、死ぬ夢は見てきたが、過去のそれらは完璧な死ではなく、死んで、復活する夢ばかりだった。つまり、肉体に大きな損傷を伴わない死であり、かつ、その死には目を見張る復活力が内臓されていたものだ。

どんなに死んでも生き返る夢。
けれど、今見る「死ぬ夢」に、復活は無い。バイクに乗っていて大型トラックに踏み潰されたり、鮫に頭から食い殺されたり、大口径のマシンガンでミンチにされたり、シュールなところでは、巨大なコンクリート製の高い壁が、左右から迫り来て俺を叩き潰す、とか。そのいずれもが肉体の滅びが決定的な「死」である。ぐちゃぐちゃになって肉体は原形を留めず、意識はぷつりと途切れ、どう頑張っても復活しようのない、完璧な命の消失。





悪夢は、息子が生まれたころから始まった。彼が成長するごと、過ごす時間が長くなるほど、彼をいとしいと思えば思うほど、悪夢は肥大し、さらに見る頻度を増している。

親になったことが、俺を臆病にしているのか。

具体的な死を考えるようになることが、親としての自覚なのだろうか、と、夢を受け入れざるを得ない現実に戸惑っている。





死。

若いころに恐れた死と、今になって想う死は、質を異にするものだ。

具体的なものが分からずにいたから、若いころは、やみくもに死を恐れていたのだ。今となっては、死がもたらす無念を、真っ先に想う。

責任を果たせない無念じゃないかな。

だから、ちょっと考えたんだ、責務を全うすれば、死ぬことは怖くないかもしれない。

とはいえ、全う、ということが、まだ良く分からない。

それが分かるまで、復活のない、完璧に死ぬ夢を見続けるだろうか。



にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ
にほんブログ村