この世に人類が誕生する以前には、きっと神は居なかったんだ。
神と言う概念は人間の都合上作られたものであり、何故ならばそれが無いと どうしても納得できない事が多過ぎたのだろう。
神がどことなく人間っぽい存在に感じられるのは、神と言う概念自体が人間の社会に根ざした考え方だからだ。
もし神が絶対であるならば、神の判断も絶対であるはずだ。
しかし、その神の判断とされるものに「善」と「悪」があるのは何故だろう。
懲罰や恩恵はどう区別されている?
そもそも、この「善」と「悪」も 人間の都合で作られたものさしである。
本当に神が絶対であるならば、そこには「善悪の区別」など無いはずだ。
神が宇宙の運行を決めているならば そこに良し悪しの取り決めなど必要ないはずである。
すべて、神のおぼしめしだからだ。
人は善悪にとらわれすぎている。
善悪など無い。
その人にとって都合がいいか悪いかだけである。
それを神の意志であるとか、悪霊の仕業と断定して仕舞いがちなのは、全てを人間社会をものさしに考えている証拠である。
悪霊という考え方も 社会が形成されるまでは存在しなかっただろう。
なにか都合が悪い事が起こると、人はそれを何かのせいにしたくなる。
そこに悪の精霊の存在が欲しくなる。
善悪を乗り越えて、もっと大きな意思に包まれる事こそ 魂の開放につながる一番の考え方ではなかろうか。
損得勘定ではなく、善い事も悪い事もひっくるめて受け入れられる事が「愛」なのではないだろうか。
愛こそが神なのではないだろうか。
もしかしたら悪霊は貴方の周囲に暗躍しているかもしれない。
でも、その悪霊が貴方に愛を感じたら、それはもう悪霊ではない。
悪霊だと決め付けられていたものが、愛の魂に変貌する。
善悪はあやふやだ。
灰色の選択なのだ。
こちらから愛を提供すれば、対峙するもの全てが愛の色に染まる。
たとえ悪霊という魂が存在しているとしても、それを悪と捉えなければ悪ではない。
もし存在するもの全てが神の一部であるならば、もう怖いものはない。