残酷な仕打ちを目撃すると、なんてひどいことを・・・など、誰もがさざめくが、残酷であることは人間らしさの原始的な部分である。原始的であるがゆえ、ときおり、ひょっこりと表にあらわれて、犬ころが食糞するかのごとく、人間の野性を垣間見せる。

残酷な仕打ちは、われわれが子供のころから、日常の中に多く目撃することがあったじゃないか。

たとえば、みなさんにも覚えがあるだろう、小学生のころ、言われなきイジメに遭っていたあの子のことを。



俺の知っている「あの子」は、Kさんだ。初めて彼女を知ったのは、小学校2年生のころだった。そのころから彼女は、掃除用具入れの中にあったホウキなどで叩かれては、皆に笑われていた。

ちょっと眉が太くて、唇の厚い、なかなか迫力のある顔つきはしていたが、それに似合わず、ごくおとなしい性格の子だった。

叩かれてもぶたれても、口ごたえしなかったのは、彼女なりの防御策だったのだろうか、と思うと、今さらながら胸の張り裂ける思いがする。たかだか6年の人生の中で、自分を守るために耐えなければいけないことを、彼女は理解していたのだ。

それに気を良くした男の子、女の子、不特定多数の級友たちは、彼女が必死に嵐の過ぎるのを待つばかりなのをいいことに、やりたい放題だった。

子どもという生き物は、その行動が直接、感情と結びついているだけに厄介だと思う。人間の原始的な部分が出やすいのも、無垢な証しであろうけれど、加減を知らないと、とんだことにもなりかねない。6年生になるまでのながい年月、その学校、その学年の全てのメンバーが入れ替わることなく、彼女の対応も変わらないままなら、彼女へのイジメは終わることが無いのは必至だった。

10歳、11歳になっても、彼女はホウキで叩かれ、チョークを投げられ、果ては、机と椅子を隠されて、カバンを三階の窓から投げ捨てられた。

こらえきれずに泣き出すと、悪い友人たちは、やんやと手を打って大喜びしていたものだ。

当時の光景を、忘れようにも忘れることが出来ない。あのときの、彼女の堰を切ったような泣き声は、絶望にも似た、経験したことのない特殊な感情が交じっていたと思う。

「Kさんが‘いやだ’ってはっきり言わないのがいけない!」

誰かがしたり顔でうそぶいていたが、その意見は全クラスの同意を得、彼女がイジメられても良い、正当な理由となった。


6歳から11歳までの5年間


 ホウキで叩かれるKさん

 

 下ばきで蹴られるKさん


 髪の毛を引っ張りまわされるKさん


 腹を殴られるKさん


彼女に何の落ち度があったのだろう。



親になると、当時のKさんのご両親の気持ちが、全てではないにしろ、わかる。

かわいい娘が学校に行くなり、毎日、ぶたれたり蹴られたりひどい言葉を投げつけられたりする、その姿を想像するつらさは、並大抵の苦痛ではないはずだ。

それでもご両親は、彼女を学校へ送り出した。つらかろうが、それを乗り越えていかなければ、いけないんだよ、人生は自分で切り開かなきゃ、いけないんだ、おとうさんおかあさんの子供なのだから、やってくれるだろう?という期待が、そこにはあったはずだ。

だが、あまりにKさんへの仕打ちがひどかったものだから、年に何回かは、彼女のご両親が学校へやってきて、クラスメイトのまえで、いろんな話をしていった。

その話の中に、イジメに加わる子供たちへの、罵声だったり、責任の追及だったり、恨み話の類はひとつもなかった。

それよりも、イジメに加担する子供たちの未来を案じていた。

成長の過程で、君たちにも分かるときが来る、でも、今、分からなきゃいけないこともあるんだよ、とか、そんな話をして帰るのだった。

だが、そんな話をして帰ったあと、Kさんはいつも以上の仕打ちを受けなければいけなかった。



もし、あの当時へ行くことが出来るなら、子供のKさんを抱きしめたい。いっぱい頭を撫でて、こんなことばかりが世の中じゃない、と優しい言葉をかけたい。



人間は、自分以外を理解する技術に乏しい生き物だ。

理解できないことを「悪」と決めつけるのは、子供のころに見た、Kさんへのあの仕打ちみたいな、人間の、獣みたいな、原始的な部分の表れなんだ。

理解される努力をしていない、と主張するおごり、理解されないことをしている責任をとれ!という勝手な決めつけ、これらが無くならない限り、苦しみ、悲しみによって傷つき、癒されない人は後を絶たない。

十分、苦しかったり、悲しかったりする世の中なのだ、なぜ、少しでも良くしようと思わないのか、いや、思わないのではなくて、神代の代から、人間には解脱出来ない原始的な部分が根強く残っている、ということだ。



卒業を待たず、ついにイジメに負けて、Kさんは転校していった。

転校の報告を受けたクラスメイトたちは、手を叩いて喜んだ。

同級生なので、もう45歳になるだろうけれど、今、彼女が幸せなら、俺はうれしい。

転校していったあの日以来、会ってないから、今がどうかは分からないけど。


 

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