昼メシ時、テレビを見ていたら大橋巨泉が「フランス料理の店には不味い店が一軒も無い。例え場末の粗末な店でも不味いということはない」と言っていた。
彼曰くフランスは文化帝国主義なんだ、と。
何でも自国が一番だと思っているからこそ、文化教育が徹底していると。
フランスの学校の給食はフレンチのフルコースが出るらしい。
小学校低学年の頃からルーブル美術館で絵画鑑賞の授業をする。
いいものを子供の頃から知っているので文化に明るい人に成長する。自国の文化に誇りを持つのは当然だろうし、極端な話、フランス語以外喋らないってのもそんな事情が背景にあるからだろうな。
だからこそ料理人だって誇り高い仕事をする。どんな料理人だって自国の文化「フランス料理」を背負って調理するんだ。不味いと言われたらそこで料理人失格って事になる。
そこでチョッと考えた。果たして日本人は、自国の文化を他国の人に紹介できるほど自分たちの文化に明るいだろうか。
バリ島は俺の第二のふるさと。田舎で過ごす夏休みの様な雰囲気が大好きである。
バリ島に遊びに行く時には必ず浴衣を持っていく。
それは「俺は日本人だぞ」ってアイデンティティを見せつけるのが目的ではなく、バリの気候・風土に浴衣が合っていると思っているからだ。
単純に気持ちイイのだ。
それだけの理由で浴衣を着用するのだが、奇異な衣装の日本人が歩いていると思い切り目立ってしまう。
大抵のバリ人やバカンスの旅行者には受けがいい。「サムライ!」とか「ハラキリ!」とか「ドラエモン!」とか声を掛けられまくる。
そして彼らは日本文化についての質問をたくさん持ってくるんだ。
嗚呼!チョッと待て、待ってくれ。拙者、この様ないでたちはしておるが、日本文化にはトンと疎いのでござる。
日本文化って「サムライ」や「ハラキリ」や「ドラエモン」だけではないのだが、それ以外の事を彼らに伝えるだけの深い造詣を持ち合わせていない俺は困ってしまう。「ドラエモン」はともかく、「サムライ」のこと、「ハラキリ」のことなど上手く説明出来ない。
ましてや「ゼン」「ブッダ」「メディテイション」「タタミ」「紙の家」「スシ」「ワサビ」「サケ」「ゲイシャ」「ニンジャ」「ジンジャ」「カタナ」「スモウ」「ショーグン」「エンペラー」などなど、上手く説明できない事ばっかりだ。
彼らは、日本人は自国の文化に明るく、古い伝統と現代の生活様式を上手にミックスさせて生活していると思い込んでいる様だが、申し訳ないけど、それはチョッと違うんだ。
日本人の歴史教育って「何年に何があった」ってことばかりを優先的に覚える様な内容でしょ?
年号と出来事の名称だけの歴史教育には何の意味も無い。
皆が良く知る「いい国作ろう頼朝さん」だって、じゃあ頼朝ってどんな人?頼朝が何をした人で、どんな人生を送ったのか、鎌倉観光をする外国人に上手に説明できる日本人はほとんど居ないと思うよ。
歴史教育は「その時代の人はその時どう思ったのだろうか」というイメージをいだかせる様な内容でなければ意味が無い。あたかもその現場に居合わせたかの様な錯覚を覚える、そんな濃い密度の教育じゃなきゃダメだよ。
今 反日運動真っ盛りの極東諸国。そんな近隣諸国を叩く熱い日本人がいっぱい居るよね。中国や韓国の歴史認識は間違っている!と声高に叫んでいる日本人が沢山居る。
そんな熱き日本人である彼らは日本の歴史について詳しいだろうか。
今という時間は過去の積み重ねである。だから今を知るためには歴史の中に学ぶ事が多い。
近代史だけではダメだ、日本という風土がどの様に成り立ってきたのかに明るくなくては日本に根を張った者としての意見は軽々しく出せないと思う。
歴史教育は「何年にこんな事がありました」ではなく、年号なんかはいい加減でも構わないから「過去、日本においてこんな出来事がありました。後にその教訓からこんな制度ができました。それにより人々の生活はこの様に変化しました」みたいな継時的なイメージを捉えやすくするのがいいと思う。
子供の頃はアメリカに憧れ、なんで俺はアメリカ人に生まれなかったんだろう、と自分を呪った事もあった。
でっかい家、かっこいい車、広い庭に名犬ラッシー。
ロックンロール、コカコーラ、ボーリング。
高い鼻、白い肌、青い瞳、そして天使の様な金色の髪。
美しいアメリカ。かっこいいアメリカ。力強いアメリカ。
それに引き換え我が日本の惨めな様はどうだろう、狭い家、狭い道、ずん胴短足の黒髪。媚びるようなへらへら笑い。
でもね、いろんな情報を聞き、体験し、歳を重ねるごと分かってきた事がある。
まず、テレビで見るアメリカは虚構である。ごく一部にしか存在しない夢物語をプロパガンダとして流していた、ホントはただデカイだけのがさつな国なんだ、ってね。
戦争に勝ったアメリカは「アメリカに憧れる」日本人を作ろうと躍起になっていたんだ。それが自国の利益に繋がるなら一所懸命だったろう。
いろんなメディアを駆使し、ファーストフード店を進出させ、アメリカナイズする作戦を展開した。
俺たちは敗戦国民として洗脳されていたんだよ、「アメリカは素晴らしい!」ってね。アメリカ製品を購入するイイお客さんに仕立て上げられたんだ。そんな国益第一の「虚構のアメリカ」と日本を比べたって意味が無い。
日本には日本独自のアイデンティティがある。アメリカに骨の髄まで侵されてたまるか!
俺は知っている。アメリカ人が古い歴史あるこの日本に憧れを抱いている事を。アメリカ人の思い描く「地球のどこかにあるユートピア」、実はそれが日本だったのさ。
日本人はもともと素晴らしい国を作ってきたんだよ。人が生きる上でどうしたらステキな時間を過ごせるか、そんなデータをいっぱい持っているんだ。日本の歴史の分だけ持っているんだ。
そんな事をずいぶん大人になってから気付くなんて。
バリ島の人々は古い伝統をいまだ大切に受け継いでいる。小学校のカリキュラムにもキチンと組み込まれている。それは日本の比ではない。
列強各国による侵略に辛酸を舐める歴史を繰り返しながらも、根っこの部分で自分たちの文化を守ってきた。それは、先祖達が残してくれた文化の素晴らしい効能を分かっているからこそ志を貫き通す事が出来たのだと思う。
いつも思うのは、決して裕福とは思えないバリ人達が、誇り高く、満面の笑みで我々を迎えてくれている事。
背筋がしゃんと伸び、臆するところがない。
本来「強さ」とはこう言う事を指して云うのではなかろうか。一人一人の心に深く根を張った文化がある。文化が生きているからこその誇りだと思う。
バリ島での質問攻めは日本に対する諸外国の関心の高さを物語る。
3000年を超える日本文化の蓄積を風化させてはいけないね。世界がそれを求めているのならば、我々は守り、発信して行く義務がある。
悪いところも沢山あるだろうが、悪しきは正し、良い部分を伸ばそう。日本文化には世界の調和に必要な「不老長寿の薬」が眠っているんだ。
子は国の宝、教育は国の礎。日本人はこの誇るべき文化を古いまま放置するのではなく、新しいものとして昇華させなければならない。昇華させるからこそ花を咲かせる。花を咲かせる庭師は我々であり、次世代の人々、そのまた先の人々である。
バリ島には日本に似た風習が数多くある。それらを日々淡々とこなしている彼らを見ると、我々も見習わなければいけないなぁ、と思うのだ。