パワーストーンという呼称は、日本にしかない。


ニュー・エイジ文化の一端であった「スピリチュアルな意味合いを持つ石との付き合い」が、流れ流れて日本という吹き溜まりにたどり着き、長い時間を掛け、藁の中の納豆みたいに醗酵して出来た名前である。


パワーって何だよ、と突っ込みを入れたい。


そもそも、何らかの特殊なパワーを石に求めるのは現実逃避だし、それは違うと俺は言う。


市井の人々は、また聞きのまた聞きで、石に特殊なパワー、しかも一定の意味を持ったパワーがあると信じているじゃないか。


意味、というところで、もうアウトだ。


天然に意味などない。


意味とは、人類が便宜上作った、人工的な道具の一種なのだ。石に、何らかの能動的な働きがあるのは、俺もそう思うひとりだから、一致するところも無きにしもあらず。


だが、それに「意味」なんてくっつけちゃあ・・・それを言っちゃあ、おしめえですよ、と、寅さんと浮浪雲を足して2で割ったみたいな口調で意見したくなるくらい、罪作りな理屈なのだ。








「知」とは何か。


追求することである。








メラ・デリマと呼ばれる、世界中を捜し歩いてでもゲットしなきゃならん、みたいな石がある。


「ある」なんて言うが、実際は「ない」に等しい。


その「ない」ところのものを、俺は幾つか所有している。





http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f82161651?u=jl_padma








この石で瞑想をするならinだが、この石があることで、何か特殊なエフェクトがあると期待に胸を膨らませるのはアウト。


そう思うのだが、あなたは、どうだろうか?








この石の話は、また次の機会に。












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