
ビートルズよりローリングストーンズ、マイケルジャクソンよりプリンスが好みだと、俺の自我は決めつける。でも、たとえばドライブの途中、カーラジオから「ベンのテーマ」や「ABС」が流れてくるなら、パブロフの犬が涎をたれながすよろしく不意に口ずさんでしまう。
永遠の命を得たもの、ほんとうに良いものとは、いくら否定しようと試みても、その存在の大きさに否定しきれない。
6歳、俺が生まれてはじめて買ってもらったレコードは、ジャクソン5のアルバムだった。
テレビで見るマイケルジャクソンはまだカーリーヘアで、だんご鼻で、黒人だった。
人形の様にちょこまかと踊り、歌い、既に充分に夢の様な存在だった。
夢といえば、最近夢の中で、かつて東京ディズニーランドにあった「キャプテンΕО」を見たんだ。
目が覚めて、あのときのマイケルは陳腐だったな、若い子はキャプテンΕОなんて知らないだろうな、そもそもキャプテンΕОなんて、誰しも忘れちゃっただろう、などと思った。
否定したい気持ちは、近親憎悪だったのか。
まさか死んでしまうなんてね。
大切なことは普段、空気みたいな存在に成り下がっているけれど、無くなってしまえばひどく悔やまれるものだ。
マイケルが死んで、俺は近しい人々を思った。