その昔、夏だったか。
いつものようにふらりと立ち寄ったCafe楽屋に 一人のぶっ飛んだ男がカウンターの一番隅でテキーラを飲んでいた。
痩せた体躯にぼさぼさ頭、薄汚れたTシャツとジーンズ、何年も洗っていない様なボロボロのコンバース。
背中を丸め、そのぎらぎらした目は空を彷徨っていた。
どうみても日本人だが、ぶつぶつと独りごちているその言葉は英語だった。
俺は奴のとなりひとつ空けたカウンター席に座り、バーボンをロックで注文した。
そこへこの店のマスターがあらわれ、俺に彼を紹介した。
彼の名はボブ。
フルネームはボブ・マーリィ。
父親は画家、母親は彫刻家の芸術一家で、当人も絵を描くらしい。
マスターは彼に俺のことを かつてUFOにさらわれた経験がある、とか幽体離脱でダライラマと会話する男だ、とか そんな類の紹介をした。
するとボブは俺の目をじっと覗き込み
「キミとは言葉じゃなくて『脳波』で語り合ったほうがよさそうだ」
と、俺の額に彼の額を押し付けた。額を押し付けながら 何かマントラの様な呪文を唱えていた。
カウンターの反対側では酔っ払ったオヤジが「マンボかけてくれ」と騒いでいた。
リクエストに応じたマスターはその夜一晩中、マンボをフルボリュームで流した。
額を付け合い脳波で会話するボブと俺。かたやマンボのリズムに腰を揺らし「ウッ!」だの「ぁああああっ!」だの騒ぐオヤジ。
ボブはその晩 テキーラの飲みすぎで、まっすぐ歩いて帰ることは不可能だった。
面白いから皆で後をつけた。
電柱に頭からぶつかったり止めてある自転車に突っ込んだりして血みどろでフラフラ歩くボブ。 俺たちは笑いをこらえるのに必死だった。
その年のクリスマスの日。
いつも集まるメンバーでクリスマスパーティをしていた。
そこへライダーズジャケットを着込んだボブが現れた。
なんでもお別れを言いに来たという。
バイクで清水港まで行って、そこからバイクごとギリシャの貨物船でインドに渡るというのだ。
皆にお別れの酒を振舞われたボブは ほどなく酔っ払った。
この状態でバイクを運転するのは危険だ。
しかも12月の寒空、バイクでどうやって清水港まで行くのか訊ねたところ、箱根を越えて行くと言う。
バカな話だ。
この時期の箱根は雪が降っているだろうし、そうでなくても路面は凍結しているだろう。
バイクでは無理だ。
皆でボブを引き止めたが、彼は断固として行くのだと、我々のいう事を聞かなかった。
どんなバイクで雪の箱根を越えるのだろうか、我々は彼のバイクを見に外に出た。
ふた昔も前のオンボロ・オンロードバイクだった。
200ccのバイクには山のような荷物が括りつけられていた。
そして その荷物のほとんどが「本」であった。
出発の時、俺たちはボブを囲んで写真を撮った。
彼は別れの挨拶をし、バイクをそろりそろりと発進させて10秒しないうちにコケた。
道路に散乱する本。本。本。
「大丈夫だよ。どうせ途中の小田原あたりで諦めて返ってくるさ」
その時以来、ボブが店に来る事は無かった。
それから数年後、楽屋に一枚のはがきが届いた。
消印はインド。
ボブからだった。
彼はインド亜大陸に渡った。
たくさんの本と共に縦横無尽にバイクの旅を続けていた。
