初めて逢った時・・・・・・逢った、と表現するのは、この時点では早すぎるだろうか。
「遭遇した」と言うべきか。
彼女は既に酔っ払っていた。
長身の彼女がカウンターに突っ伏しているのを横目に見ながら、何故こんなになるまで飲んだのか、いろいろ推測した。
突っ伏した彼女の長い黒髪がカウンターに広がり、汗をかいたグラスのしたたりが及んで濡れていた。
バーテンはなすすべなく遠巻きに観察していた。
バーテンがアテンドしないところを見ると、こんな状態になるまでに、きっと何かひと悶着あった。これ以上するとさらに厄介な事になるから放置されているのだ。
俺は静かに自分の酒を飲んだ。頭上のテレビはMTVのビーバス&バッドヘッドを映し出していた。
「Suck!(最低だな)」
飽くまでも無関心を装っていたが、だらしなくカウンターに両手を伸ばして突っ伏している彼女のことが気になって仕方が無かった。
上品な黒のワンピースにピンヒール。となりの止まり木には上品なハンドバッグ。
せっかくのスレンダーな長身をだらしなくカウンターに投げ出している姿は、本来なら六本木の不良外人が多く集まる危ない店の奥でしか見られない特殊な光景だった。
その晩はついに彼女が顔を上げるところを見ることが出来なかった。どんな女の子なのか見てみたいと思ったが、数杯の酒を飲み、バーテンとの会話を楽しみ、いい気分で会計を済ませる迄の2時間チョッとの間、彼女は死んだ様に動かなかったのだ。



別の日、同じ店に酒を飲みに行ったら彼女が居た。
以前と同じカウンター席に一人ぽつんと酒を飲んでいた。
その晩の彼女は泥酔しておらず、酒に酔っている雰囲気すら感じさせず、それは凛とした、背筋の伸びた「いい女」だった。
ハンドバッグは同じだったが、服は真っ赤なワンピースだった。
姿勢の良さと手足の長さ、そして上品な小さな顔が彼女に赤いワンピースを着けることを赦していた。
席につくと、彼女はハッとした様に俺を見た。
視線が合い、彼女はよく出来た、出来すぎと言って過言でない笑顔で二コリと笑った。
綺麗な人だ。モデルさんか女優さんかな。
挨拶をすると、彼女はとても愛想よく俺の挨拶を受けてくれた。
以前に彼女が泥酔していた事を問いかけて、止めた。気にはなるが、俺達はたった今、出逢ったばかりだった。
「よく来られるんですか?」
無言で見つめあう気まずい雰囲気を打ち破る様に、彼女の方から話題を切り出してくれた。
「ええ、家がすぐそばなもので」
「あたしの家はちょっと遠いから、ココの帰りはいつもタクシーなの」
「お家のそばにはバーが無いんですか?」
「北町にお寺があるでしょ?あのそばなんです。住宅街だし、お酒を飲もうと思ったら駅前しかありませんから・・・・・・」
彼女は女優だった。テレビのコマーシャルにも・・・・・・確か、結婚式場のコマーシャルだったと思う、見たことのある顔だったから、確かめたら案の定、本人だった。
「今夜の出会いを友達に自慢できる」
「自慢しないで下さい。売れてればいいけど、そんなに生易しくないのよ。芸歴だけ見たら、あたしはもうとっくにベテランです。それでもドラマのレギュラーはもらえないし、コマーシャルだって、全国区なのはあの一本だけ。大抵はどこかの地方の温泉宿やらお菓子のコマーシャルやら・・・・・・だから、自慢しないでね」
「いや、自慢できますよ。」
「ありがとう。じゃ、もっと頑張って、連続ドラマに出るね!」
いろんな話をしたし、何度も乾杯をした。



それから、彼女と連絡を取り合うようになった。
彼女は大阪から単身こちらに出てきており、事務所や稽古場は都内にあったので、自宅方面の友人が誰も居ないと言っていた。だから俺と知り合いになれて嬉しいと言った。酒を飲むなら地元がいい、都内で飲むと終電を気にしなければいけない、それが同じ地域に住む俺と飲み仲間になるメリットだ、と言った。
彼女は酒が強い様に見えた。ウイスキーのストレートをダブルで何杯も飲んだ。
ボトル半分飲んでも顔色を変えることなく上品な酒を楽しんでいた。
そんな彼女がある日、紹介したい人が居るから一緒に飲みましょう、と連絡をよこしてきた。



彼女が連れてきた人物は、とあるキー局のディレクターを名乗る40前後の脂っぽい男だった。
以前からの知り合いで、彼女に連続ドラマの話を持ちかけたのだそうだ。
それで、今後を祝して小さな宴会をしたい、との意向で酒を飲むことになったらしい。
その晩の彼女は、俺と飲むのとは全く違うテンションではしゃぎまくった。
変わらない筈の顔色を、ほんのりと赤く染めていた。
そんな彼女を見たのは初めてだった。
いつしか時間が経ち、時計を見ると終電も終わる時刻になっていた。
「ねえ、彼はどうやってココまで来たの?」
「ん?電車だけど?」
「でも・・・・・・ もう電車ないよ」
「あたしの部屋に泊まってもらうから」
「・・・・・・そう」
ディレクター氏とそのあたりの話はついているらしかった。



それからしばらくの間、彼女とは連絡が取れなかった。
連続ドラマのことであれやこれやと忙しいのだろう、連絡が取れないことが、逆に彼女の望みが叶った事を予感させて、俺はちょっと嬉しかった。
彼女が出るドラマなら毎回ビデオに残しておこう、と思った。



一ヶ月半くらい経ってからだったか、俺たちが初めて出遭ったバーで彼女と再会した。
初めての時と同じ黒いワンピース姿だった。カウンターに突っ伏して、汗をかいたグラスに長い髪を絡めていた。
バーテンが懇願する様なまなざしで合図した。
彼女の席の隣に座り、両手で肩を抱き、揺さぶった。
「どうしたの?らしくないじゃない?」
弱々しく顔を上げ、俺を見た彼女は、青い顔をしていた。
最初誰だか分からないふうだったが、うつろな目で俺を見ているうちに思い出したのだろう。
「もう死にたい・・・」
彼女は俺の胸に顔をうずめてめそめそ泣き出した。
参ったな、何がどうなっているのやら。
ひとしきり泣くと、ようやく彼女はかすれ声を絞り出した。
「あいつ、あたしの体が欲しかっただけよ・・・・・・あたし、バカだから口先だけの約束にすぐ惑わされるの。でも、チャンスだ、って思えば好きでもない男とだって寝られるのよ。寝るくらい何よ、へっちゃらだわ・・・・・」
彼女を慰める言葉をいろいろ考えたが、何も思い浮かばなかった。初めて出遭った時も、そんな事情で酔いつぶれていたのだろうか。
「もう充分だろ。帰って休んだほうがいいよ。ここに居たってどうしようもない」
俺はバーテンに「電話」のハンドサインを送った。
「こんななのに一人で帰すの?あんたって薄情ね」
「じゃあ、どうするんだよ」
「あたし歩けない。あなたの部屋に連れてくか、送ってちょうだい。あなたの義務よ」
やむを得ず送る事にした。
バーテンにタクシーのキャンセルを頼むと、自宅から車を取ってきて後部座席に彼女を寝かせ、彼女の部屋に向かった。




部屋に着くと、上品なハンドバックから鍵を出し、玄関の明かりをつけ、彼女を抱えて部屋まで運んだ。
家具らしいものなど何も無い様な、ガランとした部屋だった。
ソファーに寝かせ「鍵かけたらポストに入れておくよ」と言って帰ろうとしたら




「帰っちゃダメ」



彼女は俺の首に手を回した。
顔を近付け、訴える様なまなざしで俺を見つめた。無言で見つめあう時間が、長く気まずく感じられた。
「・・・・・・だめだよ」
      「いいの・・・。それにね、今そんな気分」
                         「・・・・・・だめだよ」
「おねがい!」
彼女はフラフラと起き上がり、俺を見つめながらワンピースの背中のジッパーを器用に下げた。
「あたしの背中はグレタ・ガルボの背中より美しい、だって。こないだの男が言ってたわ。あんた、ガルボって知ってる?」






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