人の歴史は恋が作ってきた。
恋だ。あなたがかつて経験してきた、あの胸を締め付ける邪悪な感情だ。
恋とは、愛の一種の様に見え、でも愛ほどの完成度は無い。つまり、恋とは都合の良いお気楽な遊戯なのである。
若年の一時期、恋という感情が世界を支配する程の影響力を、残念ながら及ぼす時期がある。その経験が、今後のその人となりを作るおおもとなのかもしれない。
恋とは、乱痴気騒ぎの果ての悲劇だ。でも、恋の存在が人をして強く前進させる。もし人というものが打たれて成長する生き物だとしたら、恋の痛手が喜劇的な歴史を作り、納得の出来ない話に花を咲かせ語り合うのは有意義なことなのかもしれない。
例えば、こんな話だ。
Sというまじめな男が居た。彼は一時期、Wという女の子にぞっこん惚れこんだ事があった。彼の愛した彼女はたまに、香道の師匠がするみたいな不思議な所作で郵便の包み紙を解放する様な、男心をややこしく翻弄することがあった。Sはその手先の美しさにノックアウトされたのだ。
口八丁手八丁で幾たびかはデートした事があったかもしれない。いくつかの駆け引きに変化は見られたかもしれない。だが、Sは彼女と性交渉をもつには居たらなかった。出来ればそれを達成したかったが、ついに実現しなかった。
だがある日、彼女はSに「子供が出来たから責任をとってくれ」と詰め寄った。
やってないのにあり得ない話である。
当然Sは抵抗するものと思われた。
だがSは、それを歓迎し、彼女の理不尽な申し出を受け入れた。
恋という不完全な感情は、事実をも捻じ曲げ平然とする、実にしたたかで憎たらしい厄介なものだ。
Sはやってもいない女の子供を認知し、その責任を果たすためにひと財産を提供し、無一物となり、後に捨てられた。でも案外、満足だったかもしれない。