休日。
遠足に行く子供が、前夜なかなか寝付けず、それでも朝早く目覚めてしまうのに似て、いつもより早く起床してしまった。寝室を抜けリビングに出ると、飲みかけのグラスや読みかけの文庫本から、夜更かしの残り香が漂ってくる。
久しぶりに見た妙な夢が、どんなストーリーだったのかハッキリ思い出せず、ぼやぼやしているうちに記憶はすっかり霧散した。夢なんて、どうせ記憶の整理なのだ、と負け惜しみじみたことを思いながら、目覚めたときにメモしておけば良かったと後悔した。
後悔に値するストーリーだった。
俺は誰なのか、を紐解く鍵が、夢の中のどこかに隠されている、そんな青臭い理由で高校生の頃から書き始めた夢日記も、最近はどこかに打ち遣られ、久しく姿を見ていない。
俺は誰か、この歳になってまだ自問している。
深酒をしたせいか、目覚めから水ばかり飲んで、うっかり腹が減っていることに気付かなかった。
何か作ろうと冷蔵庫を開け、隅から隅まで食材を探したが、欲しいものが無いと分かると、そこらへんにある適当な衣服を身につけ、近所のファミレスに向うことにした。
よく晴れた明るい朝だった。
日頃通らない道を選び、あまり目にすることのない近隣の竹林を眺め歩く。まだ午前8時を過ぎたばかりだというのに夏の太陽は無慈悲に俺の肌を刺した。背中に汗が流れた。すでにセミたちは大合唱を始めており、アスファルトの上に陽炎がたっていた。
駅前の丘を越える長い登りの階段までたどり着くと、上品なスーツを着こんだ恰幅の良い紳士とすれ違った。階段を登りきったところで振り返ると、景色を歪めるほど激しくのぼりたつ陽炎の中に紳士は消えていた。
ファミレスでは、社会的地位の高そうな男たちが、皆一様に携帯電話で何かを話しながら朝食を摂っていた。俺はサラダとハンバーグとコーヒーを注文し、タバコに火を点け、持ってきた読みかけの文庫本を開き、4ページ読む間もなく食事が運ばれてきた。
たっぷり30分かけて食事を終えた後、コーヒーを飲んでいると、期せずして今朝の夢の全貌を思い出すことになった。隣の席に「いかにも金持ち」ふうの初老の男、そしてその愛人と思しき若い女が座ったからだ。俺が見た夢に瓜二つの状況だ。
・・・とっくに忘れていた東ヨーロッパのB級映画のワンシーン、初老の紳士が街で出会った若い女に、豪勢な食事を振る舞う光景である。映画の中の紳士はマンマとだまされ、若い女に逃げられてしまうが、今朝見た夢の中の女はどこまでも紳士に付き纏い、それを疎ましく思った紳士は彼女を東京タワーに置き去りにする・・・他にもいろんな場面があったが、今朝の夢はそうやって幕を上げた。それに続く全体的なストーリーは、件の東ヨーロッパB級映画だけでなく、いくつかの映画の断片だったかもしれない。
映画には心に残る素晴らしい名作もたくさんあるが、その日のうちに忘れてしまう陳腐な駄作もある。今朝の夢はいわば忘れ去ったはずの駄作の集合体だったのだ。
忘れたはずのいくつかの映画と再会したことで、俺はそれらが何という映画だったのか知りたいと思った。
知ったからといってもう一度見るかどうか分からないが、それら忘れても差し支えないストーリーのどこかに懐かしく思える部分があったからこそ、期せずして夢に再現されたのだろう。我々の日常生活だって、B級映画と何が違う。とり立てて大きな冒険も、感動的な逸話も、世界が驚く奇跡も無い。でもそれぞれの時間の中に吹けば飛ぶような小さなドラマが分散していて、その時は他愛ない事も、思い出の中で蓄積され、えもいわれぬ妙なストーリーが完成する。
まるで、ニューシネマパラダイスのラストシーン、無意味なキスシーンの連続にも似た。
初老の男と愛人は、これから箱根に行くのだろう。藤沢まで男が運転し、箱根まで女が運転する、そんな話が聞こえてきた。
食事を終えた後も、しばし考え事をしていた。コーヒーカップは空のままだった。
外に出る頃には、既に正午に迫る時間になっていた。
あれだけ晴れていた空が、いつの間にか曇っていた。 風が出てきたから、ひょっとしたら雨が降るのかもしれない。
だらだらと家に向け歩きながらも、俺が俺であるために何をかしなければいけない、ならば何をしたら良いのか、を考えた。考えても簡単に答えなど出るはずもなかったから、俺の生活はまだまだ陳腐なB級映画を演じ続けなければならないのだろうか。
丘を下る階段で、朝方すれ違った恰幅の良い紳士と再びすれ違った。
スーツの上着を脱ぎ、真っ赤な顔を扇子で扇ぎながら、息も絶え絶えに階段を登っていた。