子供の頃、鬱陶しいほど繰り返し躾けられ、でもそれがスムーズな人間関係を構築する所作と大人になってからふと気付き、躾けてくれた親に感謝する。例えばそれは、公衆の中の蛮行、無粋な真似をする人との付き合い、短慮が引き起こす騒動、等々に面して著しい。
たいていの誰もが普遍的に躾の大切さを思うだろう。問題は、それら愚行を自ら気付かず犯してしまうことだ。
自分は完璧だという思い上がり、お互いが問題の種を有していることを忘れる独り善がり、ひと息飲み込んで俯瞰するのを忘れる稚拙さ、注意していないと、理想から離れた社会を作るのは自分だった、というお粗末な結果が待っている。
言うばかりで聞いていなかったのではないか、もらうばかりで与えていなかったのではないか、つくづく世の中はバランスだ。そのバランス感覚をよりシャープにするのが、ものごころついた頃からの躾である。
母は4歳の俺に「女と年寄りは大切にしろ」と口酸っぱく躾けた。
それだけは辛うじて護れていると思う。