最近、つがいのコウモリがベランダの前をよく飛ぶ様になった。
コウモリは何かの吉兆だ、という話をどこかで読んだか聞いたかしたのだが、それがつがいで飛来するのだから俺はたいそう期待してしまう。
げんかつぎを一頃は嫌っていた。それは努力度外視の精神論、矛盾だらけの滑稽な習慣に思えたからだ。
だが、今は担げるげんなら何でも担ぐ。何でもやって、とことん神様に好かれるドリブルを続けるのだ、これだって努力のうちだ、そう思う様になった。それは、ある雑誌の特集で成功者の財布拝見みたいなのを読んだのがきっかけだった。
財布そのものは至ってシンプルだが、そこには必ずお守りの類が入っていた。
神頼みもあるだろうが、それらのおまじないはきっと、自分をたきつける為のスローガンなのだ。
それらの習慣を俺はリスペクトしている。
コウモリだって大歓迎だ。