かがんだら腰が痛いな。何かやったかな。ああ、昨日、現場で杭を抜いたんだ。随分深く食い込んでいたから、抜くのに一苦労した。杭を抜いて腰が痛くなるなら、もし不意の喧嘩にでもなったら体がもたないかも知れない。そんな埒もないことを思いながら、ベランダに出してある香炉に線香をくべる。香炉はベランダの床で、昨日の豪雨に濡れていた。線香が湿気らない様、注意深くセットする。
満月だ。台風一過の満月は、湿度を帯びた大気に青い光を散乱させ、いつもに増して美しく輝いている。今頃バリの黒い寺院では、波の様に押し寄せる善男善女たちが、線香の煙に目を真っ赤にしながら、祈りながら、咽せているのだろう。
俺は香炉の側に椅子を置き、満月と対峙した。
満月との対峙は、いつものお月様(例えば二十日の月は素晴らしいバランスで我々を魅了するが)とはまた違った、特殊な感情に支配される。満月は別物だ。一日違えば、それは違う月なのだ。
香道では「香りを聞く」と表現するが、対峙する満月だって、何かしらの音楽を奏でている。下手なBGMを付けたら台無しになってしまう。30日に1日しかないこの貴重な時間、静かに月の奏でる音を聞くのが正解なのだろう。
いい気分だ。今夜は特別に、以前目撃した「緑色の満月」を見せてあげる。見た事ないだろう?緑色の月なんて。
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