水晶に始まり、水晶に終わる鉱物趣味ではあるが、世の中の水晶好きの殆どが鉱物としての趣味ではなく、何らかのパワーを得ようと躍起になっていると感じるのは何故だろう。
日本式双晶の味わい深い造詣も、水晶は水晶でしょ?と一蹴されてしまう風潮。
カリマンタンで生まれようと、ブラジルで生まれようと、崑崙で生まれようと、水晶は水晶だ、よりクリアで、出来れば太いルチルがびっしりと入っていて・・・それが何か幸せな風を連れてくる様だ。
たまたまそれが鉱物だったのだ。もしこれが、例えば海草だったら、世の中は海草マニアで溢れただろうか。
海草の、いかに酸素を作ることに貢献しているかを賛美しつつ、首とか腕の周りに、海草を巻き付けるだろうか。
そう考えると、本来の鉱物趣味の人々が可愛そうに思えてくる。
ご利益か、ならば、俺がそのご利益を実現してみよう。
俺のルチレイテッド・クォーツは強烈だぜ?
何が強烈って、元々の持ち主が俺、って事だ。
世界中捜しても、俺のところにしか無いぜ?