たまたま出来た真空。
でも、出来る定めだった真空。
世の中は、全てを呑み込んだアトラクションで、博物館で、美術館だ。
砂利敷きの駐車場に車を進入させると、タイヤが石を踏んでパチパチと音を立てる。
夢想家の俺は、その砂利が全てロウカン質ヒスイの勾玉だったら壮観だな、と思う。
それをきっかけに、感じるもの全てに様々な仮定を当てはめ、一人遊びする。
その気持ちが、制作意欲だ。
例えば、公団住宅を一夜にして黄色く塗ったり、河原の小石一つ一つに赤いインクで毛沢東の肖像をプリントしたり、そんな作家が、かつてあった。
例えば、舞茸に酔った尼僧が笑いながら山道を帰ってくる。
遭難を逆手にとって笑いながら山を下る。
決してただ深刻に一途に考えるばかりでなく、自分の理想を当てはめて暴走してみるのも悪くはない。
人間は勝手なジャッジをするが、それが全てではないと思う。
何をしても、偶然も必然も呑み込んだ全く寛容な「この世」の成せる技。
神の意志はフレキシブルだ。