仕事帰りの午後8時、自宅前の雷電橋を渡る時、必ずと言って良いほど牛蛙が鳴いていた。町の灯りがベルベットの闇を仄かに照らし、御伽噺の様に瞬く。その瞬きはまるで昭和の原風景、それに輪をかけてカタルシス満載の演出をする牛蛙の「モー」という鳴き声は、ささくれ立った一日の終わりをファニーな気分に仕立て上げ、俺を随分と慰めた。まるで夜のディズニーランドのアトラクションみたいだ。
盛夏を過ぎた頃、奴らは急に大人しくなった。
牛蛙たちはきっと生きているのだろうけれど、彼らが大人しくなると、それを聞いて癒されていた俺が、連動して寂しくなる。
冷やし中華と同様、牛蛙も旬のものだ。双方とも年中無休の楽しみとして、広く世間に認知されないだろうか。



今月も20日位になるとお彼岸で、それを過ぎれば本格的な秋になッちまう。悲しむべき事だ。
何故か?俺は夏が好きだからだ。
夏を彩るものは何でも好きだ。
だから、彼らがどう思おうと関係なく牛蛙も好きだ。
伝右川に棲まう牛蛙は、そこに這い上がる地面が無いので、昼間見ると大抵の奴が水面から顔を出してハアハアしている。
それが結構マヌケな面で、出来の悪い後輩みたいでかわいい。
「しょうがねぇなぁ」と苦笑いするのだ。



来年の夏、逢おうぜ。素敵なマヌケ面を見せてくれるだろ?



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