ほっておいたら時間なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。
冬場は特にそうだ。
ゆっくり目覚めて、歯を磨いていたらいつの間にか12時だ。
ブランチとしゃれ込むと、気が付けば夕方4時だ。
冬場は特にそうだ。
ゆっくり目覚めて、歯を磨いていたらいつの間にか12時だ。
ブランチとしゃれ込むと、気が付けば夕方4時だ。
夕方の4時、ってのが、また妙に中途半端な時間で、何をするにも遅いのか間に合うのか分からない時間なのだ。
でも、結局何もしないから5時になる。そしていつしか外は真っ暗だ。
一日オワタ。
仕事を辞めてから、そうやって俺はほぼ毎日、外に出ないで家に居る。
家から出ない。
厳密に言えば、家から出る理由が無い、のだ。
面接を受ける以外、家から出る理由がどこにある?
なので、日がな好きな小説を読んだり、神秘主義者のサイトを順繰り見たり、座禅に明け暮れたりしている。
昼寝もする。
昼日中からあったかい布団に入ってぬくぬくするのは大変気持ち良い。
充分に寝た上で昼寝をするものだから、夢ばっかり見る。
俺は夢が大好きなので大歓迎だ。
どの位好きかというと、話題の映画なんかよりも好きだ。 どんな巨匠の映画より、自分の夢の方が何倍もいい。
怖い夢も、楽しい夢も、スケベな夢も、悲しい夢も、どこか遠くの、どんな時代か分からない夢だって、作為的な感動とは大違いで、リアリティにあふれたシュールな展開はくさびを打つかの如く強烈に俺の胸を打つ。
アクションであり、ラブアフェアであり、怪談であり、神の導きでもある。
でも、結局何もしないから5時になる。そしていつしか外は真っ暗だ。
一日オワタ。
仕事を辞めてから、そうやって俺はほぼ毎日、外に出ないで家に居る。
家から出ない。
厳密に言えば、家から出る理由が無い、のだ。
面接を受ける以外、家から出る理由がどこにある?
なので、日がな好きな小説を読んだり、神秘主義者のサイトを順繰り見たり、座禅に明け暮れたりしている。
昼寝もする。
昼日中からあったかい布団に入ってぬくぬくするのは大変気持ち良い。
充分に寝た上で昼寝をするものだから、夢ばっかり見る。
俺は夢が大好きなので大歓迎だ。
どの位好きかというと、話題の映画なんかよりも好きだ。 どんな巨匠の映画より、自分の夢の方が何倍もいい。
怖い夢も、楽しい夢も、スケベな夢も、悲しい夢も、どこか遠くの、どんな時代か分からない夢だって、作為的な感動とは大違いで、リアリティにあふれたシュールな展開はくさびを打つかの如く強烈に俺の胸を打つ。
アクションであり、ラブアフェアであり、怪談であり、神の導きでもある。
それらのどれか一つのカテゴリーに集約されるのではなく、渾然一体としたところにライブ感がある。
人生そっくりじゃないか。
時に滑稽で、時に命を張る。
目覚めてふと顔を上げれば、シンクには今朝食った茶碗がそのままになっている。
このまま時間を浪費するのであれば、二十年、三十年など、あっという間に流れ去るだろう。
やれ、やってみろ、と言われれば(もし潤沢に資金があるのであれば)たぶん出来ると思う。
三年寝太郎だ。
俺は夢を見続ける。そして、たまに小便に起きて、世の中にどんな貢献ができるかを薄らぼんやり考えればいい。
世界平和を祈りつつ、自分のイデオロギーが最高なのに、何故世間は俺を発見しないんだ?とか、ぼんやりと思っていればいいのだ。
だいの男がする事ではない。
俺はいわゆる「普通の男」がやりたい。
普通とは何か。
朝、定時に起床して身繕いをし、通勤の景色を眺め、やりがいのある仕事をし、七人の敵と対峙し、妻や子供のために給料袋を持ち帰る、そんな所業だ。
ああ、普通。
偉大なる普通。
普通に暮らす事の、いかに難しい事か。
普通を言葉に置き換えるなら簡単だ。「養う」のだ。
例えばこんな風に。嫁を養う、子供を養う。親を養う。
ゆりかごから墓場まで、身近なひとたちの「人生」ってものを出来るだけ支えることの出来るバイタリティ。
それさえあればいい。
ただ生きて、呼吸して、無駄に食ってウンコ製造マシーンに成り下がっているばかりの人生に「養う」というバイタリティなど無い。 まず、俺を養う。
俺自身を養わなければ、誰をも養う事など出来はしない。
だから、朝、定時に起床して身繕いをし、通勤の景色を眺め、やりがいのあるキツい仕事をし、七人の敵と対峙してボロ負けし、青息吐息で妻や子供のために給料袋を持ち帰る作業をしなければならないのだ。
誰か俺に仕事をくれないか。
仕事が無ければ、何も養えない。
俺はこの歳になって始めて分かったのかも知れない。
満員電車に揺られる元不良、元天才、元ロックンローラー、元カリスマ、元、元、元。
人生そっくりじゃないか。
時に滑稽で、時に命を張る。
目覚めてふと顔を上げれば、シンクには今朝食った茶碗がそのままになっている。
このまま時間を浪費するのであれば、二十年、三十年など、あっという間に流れ去るだろう。
やれ、やってみろ、と言われれば(もし潤沢に資金があるのであれば)たぶん出来ると思う。
三年寝太郎だ。
俺は夢を見続ける。そして、たまに小便に起きて、世の中にどんな貢献ができるかを薄らぼんやり考えればいい。
世界平和を祈りつつ、自分のイデオロギーが最高なのに、何故世間は俺を発見しないんだ?とか、ぼんやりと思っていればいいのだ。
だいの男がする事ではない。
俺はいわゆる「普通の男」がやりたい。
普通とは何か。
朝、定時に起床して身繕いをし、通勤の景色を眺め、やりがいのある仕事をし、七人の敵と対峙し、妻や子供のために給料袋を持ち帰る、そんな所業だ。
ああ、普通。
偉大なる普通。
普通に暮らす事の、いかに難しい事か。
普通を言葉に置き換えるなら簡単だ。「養う」のだ。
例えばこんな風に。嫁を養う、子供を養う。親を養う。
ゆりかごから墓場まで、身近なひとたちの「人生」ってものを出来るだけ支えることの出来るバイタリティ。
それさえあればいい。
ただ生きて、呼吸して、無駄に食ってウンコ製造マシーンに成り下がっているばかりの人生に「養う」というバイタリティなど無い。 まず、俺を養う。
俺自身を養わなければ、誰をも養う事など出来はしない。
だから、朝、定時に起床して身繕いをし、通勤の景色を眺め、やりがいのあるキツい仕事をし、七人の敵と対峙してボロ負けし、青息吐息で妻や子供のために給料袋を持ち帰る作業をしなければならないのだ。
誰か俺に仕事をくれないか。
仕事が無ければ、何も養えない。
俺はこの歳になって始めて分かったのかも知れない。
満員電車に揺られる元不良、元天才、元ロックンローラー、元カリスマ、元、元、元。
夢を見ることをやめた人々。
元々を辞めてでも「普通」を欲しがるのは悪い事じゃない。
元々を辞めてでも「普通」を欲しがるのは悪い事じゃない。