遠い遠い昔、ずうっと西の果ての神秘の国に、王子とその妻である姫が幸せに暮らしていた。
王子は姫を連れて領内の森を散策した。
するとそこに金色の鹿が現れた。
姫は「あの金の鹿がほしい」と王子に懇願した。
王子は「ここで待っている様に」と姫に告げると、携帯していた得意な弓で金の鹿を射止めんとばかり後を追った。
王子が居ない隙に、悪の大王は姫をさらって行ってしまった。
金色の鹿は、悪の大王の放ったおとりだったのだ。
目的はただひとつ、姫を我が妻にする事だった。


この話はラーマーヤナという名前で知られている。
この話の面白いところは、鹿を射止めんとする王子は善であり、姫をさらう大王は悪である、という設定である。
哀れ姫をさらわれた王子は、様々な神霊に助けられ、姫を奪還すべく奮闘する。
目線を変えてみると、この話には矛盾があることに気が付く。
金の鹿の命は、姫がこれから送るであろう大王との暮らしに比べて軽いものなのか、金の鹿を射止める事は悪くないけど、姫をさらう事は悪なのか。
物語は続く。


姫を奪還した王子は、悪の大王と決着を付けるべく軍隊を要請した。
強大な軍隊は、ひるむ大王に容赦しなかった。
いよいよ劣勢と判断すると、大王は魔法を使い善良なる兵士たちを自害の道に追いやった。
自らの胸に刃を立てる兵士たち。
するとそこに「善の象徴」が現れて、何か新しい事件が興る予感を孕みながら物語りはフェードアウトするのだ。


決着を見る事なく何故そこで終わるのか?
いや、終わってなんかいない。たぶんその物語は現在も続いているのだ。
語り部は王子の視線で話を進めるが、誰かが魔王の視線で物語を語ったとなれば、きっと聞き手は魔王に同情するだろう。
何が善で何が悪なのかは視点によって変化するのだ。
善と悪は拮抗する。そして決着を見ない。
その延長が「今」なのだ。
そう考えると、そもそも「善と悪」というものの考え方自体が間違っている様にも感じる。
善悪は社会生活をスムーズに送るための人間独自のシステムだ。
大空に溶ける様な、大海にいだかれる様な生き方をする者には、ひょっとしたら善悪の垣根など無いのかも知れない。
俺たちが終わらない物語を終結させようと試みるなら、何かを犠牲にして新しい世界を迎えなければならないだろう。
でも悲しいかな、人間は自分の置かれている環境から抜けることを好まない。
それは致し方ない。
ただ、美しい夕焼けのその先に、終わらない戦いが今も繰り広げられている事を思うのは有用だと思うのだ。


王子は妻を奪還したが、魔王と「男と女」の関係になったのではないかと疑った。
姫は悲しみ、自らの潔白を証明するとばかりに燃えさかる炎に身を投じた。哀れに思った神々が姫を救い出したが、天に口無し、姫の操はどうだったのか真実を知るものは、姫と魔王以外には無い。
ひょっとしたら、魔王の純粋な愛に体を許したかも知れない。
さて、王子、姫、魔王、誰が善で誰が悪なのか。




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