「正しい方向」に「一定以上の質」、そして「適切な量」をこなせば

 

正しい方向

言うまでもなく身体・精神共に適性であるか否か
 
好きなことと得意なことは別物であることを知れ
 
身長170未満のチビがバレーボールのアタッカーは無理がある
 
不適性の努力は無駄になるのみならず本人の良さすら消す
 
チーターに筋トレさせても大してパワーは上がらないし、それどころか長所のスピードも落ちてしまう
 
その適性を見極めるのが成長期における教育期間だ
 
「可能性は無限大」「何にでもなれる」「好きなことをしろ」だ?
 
坊主の寝言なんかに耳を貸すな
 
凡人だからこそ適性がより重要になる
 
子供部屋ジジイや弱者男、ニートフリーターを量産している日本がまさにそれを証明している
 
 
 
 

一定以上の質

ただ漫然とやった気になるな
 
いやいや授業や塾に行った所でそんなものは勉強時間に入らない
 
教科書に書いてることを写したところでまさに時間の無駄
 
問題を読むのではなく出題者の意図を理解し、間違い選択肢の意味を理解せねば寝ているのと同じだ
 
知識というのは双方向で繋がっているのだから一つの問題から学ぶことは多い
 
 
素振りだってただ機械的に回数こなしてもなんの意味もない
 
一回一回、色々なシチュエーションを意識して力加減や方向を変えながらやらなければ意味がない
 
 
 
 
 

適切な量(配分)

量が少なすぎるのは論外だが
 
オーバーワークも少ないのと同じくらい悪手だ
 
そして量の配分も重要だ
 
ある日は6時間やって、ある日は全くしないという努力は非効率だ
 
私も東大だが格段受験勉強なんてしていない
 
正確にいうなら毎日一定量を欠かさずやるという習慣があった
 
休みだろうが忙しかろうが記念日だろうが少量でも毎日欠かさずやる
 
故に思い返した時「特に」勉強していなかったという感想になる
 
高学歴に多い感想だが、別に嫌味でも天才という訳でもない
 
 
 
 
 
努力すらしてない・非効率なやり方をして
 
努力は報われないなんてほざいてるゴキブリは生きる価値なし
 
「そうだね報われないね、じゃ○殺すれば?」とでも返せばいい
 
弱者は人の足を引っ張るのが好きだからね
 
流石に世界レベルは厳しいかも知れないが
 
生きていくのに全く不自由せず周りから敬意を払われるレベルなら
 
間違いなく努力だけでも到達できる