久しぶりに雑誌を読み入っていました。

スタッフさんの忘れものPRESIDENT「運を掴む習慣」

 

 

読んでいて当てはまるものや、こう考えたらいいのかと発見があったり。

保存用に私物として購入してみました。

 

昔、会社員をしていた時期があります。

 

とってもブラックな会社で毎日、鬼上司の元お勉強の日々でしたが

その中で、今のわたしの信念にもなっている上司の言葉があります。

 

「なんで出来ないんだろう」とか考えてる暇があったら

「どうしたら出来るようになるか」考えろ!

 

と、怒鳴られた記憶。

 

とても生産的でごもっともな意見なのですが

当時のわたしは、初めての社会経験で右も左もわからない状態。

 

その中で、何も教わらず目で盗んで先輩方と同じだけの仕事をこなすことは

物理的にも無理があるだろうと考えていました。

 

今になって考えてみれば

「無理」と言う言葉で自分に限界を設定してしまっていたのですよね。

 

実際に難しいことであったとは今でも思います。

にも関わらず、上司の怒鳴り放ったその言葉が

なぜだか当時のわたしの心に刺さり

次の日から、このお仕事をどうしたらこなせるのか試行錯誤し続けました。

 

それでも成果はなかなか出ず

怒鳴られ罵られる日々が4ヶ月ほど続きました。

 

営業のお仕事に例えるのなら

月に70件の成果を挙げたら100点という世界で

5ヶ月目にして150件ほど達成することができました。

 

自慢したいのではなく

わたしにできることなのであれば

誰にでも出来る可能性があるということです。

なぜならこれは決して才能で得た成果ではなく、積み重ねだからです。

 

ただ周りのみんなはこれを努力とは言いませんでした。

 

みんなが放った言葉は

「時期(エリア)が良かったわ」

「一華ちゃんツイてるなぁ」

これでした。

 

実際には寝る間もなく試行錯誤したのですが

単純なわたしは、みんなからこの言葉を言われ続けることで

なんだか自分がとてもラッキーな人間なのではないか?

と、勘違いしていくようになりました。

( 単細胞です。)

 

この勘違いから少しずつお仕事が軌道に乗り始め

失敗しても「次行こう!」と考えるようになり

根拠もなくうまくいくような気がしたり

いつしか「無理」という言葉で自分を縛る考えも減り

とりあえず「やってみよう」の精神で

継続して結果を残せるようになっていきました。

 

聞こえ良く書いていますが

単純に自信が付いただけなのだと思います。笑

 

とは言え、体がもたなくなり

最終的には数年後に退職する結果となったので

無理なことをしていたのだとは思います。

 

とてつもなく才能のある人間なのであれば

きっと容易くこなせてしまうのかもしれません。

 

ただわたしも含め、ほとんどの人がごくごく普通の人間であると思います。

自分の限界をしっかりと把握している"普通"の括りにいるわたしたちは

ごく自然に「限界」を設定したり、物理的に物事を見極めるもの。

決して諦めている訳ではなく、自分の"今の"限界を

なんとなくわかっていたります。

これは至って普通のことであり

むしろ"自分の力量を見極める力"のある人間なのだと思います。

 

ただ、普通の人間であっても

ある程度、自分の限界は突破できるものだとも思っています。

 

あくまでわたしの経験則になりますが

「無理」「出来ない」と決め付けてしまうことで

恐らく限界は突破できず、道は想定の範囲内に閉ざされてしまいます。

 

自分が普通の人間であったとしても

「無理かもしれない」「出来ないかもしれない」

それでも「無い」中で何ができるのを考えて行動することができた時

際限のない道が開かれるのではないかな、と。

 

全ての人・全ての物事に当てはまる訳ではないのですが

恐らく世の成功者や運がいいと思われる人達というのは

運だけではなく、成功・幸せの背景に努力があると思っています。

 

世の成功者・運がいいと言われる人たちは

「無理」「出来ない」と決め付けて自分に上限を設定してしまうよりか

例え人が「無理だ」と決め付けたとしても

可能性に賭けて進める人の多くが、それに値するのではないかと

ふと今月のPRESIDENTを読んでいて思いました。

 

「無理、わたしにはできない」など

「無い」と思えば、無いなりの人生になります。

逆を進めば、可能性はぐんと広がります。

 

「無い」を「有る」に変えられるのは、自分自身。

努力することも、より良い人生にすることも

全て自分次第ということ。

 

例え無い中でも、何ができるのか、自分には何ならできるのかを考えて生きることで

より良い結果を残せる

=人から見れば恵まれた人・幸せな人

という位置付けになると考えています。

 

限界を設定しない広い視野と考えを持つことで

周囲から評価を得られ、それが言葉として耳に入る機会も増えます。

 

極論ですが

 

人は延々とけなされれば

自己肯定感が低くなり自分を出来ない人間だと設定し

本当は出来ることでさえも出来なくなってしまいます。

=結果がついてこない。

 

反面、人から称賛され続ければ

自己肯定感が増し、根拠もなしに、あるいは結果を出せたという経験から

自分なら出来る、出来る気がする、と奮起し行動することができます。

=結果がついてくる、きやすい。

 

周囲の称賛の声が聞こえてきたら

しっかりとその声をキャッチし素直に喜んでみること。

そして少しだけ勘違いしてみること

「自分ならできるかも」「できる気がする」と。

 

良い結果・想像以上の結果に辿り着いた時

残念がる人はほとんどいないと思います。

嬉しさ、喜び、満足感などたくさんの感情を得ることだと思いますが

その感情に素直に浸る=幸せを感じることで

また行動しよう!というやる気が湧き

人生が成功の軌道に乗り、幸せのサイクルが出来上がるのではないかと思います。

 

PRESIDENTでは「運を掴む習慣」というタイトルだったのにも関わらず

思いのままに書いていたら

「結果を残せる自分作り」みたいになってしまいました...

が、あえてこのまま投稿します。笑

 

何が正解ということはありません。

上限の中で穏やかに生きることも決して悪くないです。

逆に「無い」「どうせ」という言葉で、自分に制限を設けているのであれば

際限の無い広い視野で人生を歩んでみることも良いかもしれませんね♪ 

 


ICHIKA