カウンセリングに通い始めた。

通い出した理由は他でも無い。

無料だからだ。


もう今年で3年目になる。


最初は保育園のママ友で悩んでいた。

2年目は、ただ私の話を聞いて欲しかった。

3年目になる今、私が自分と向き合うお手伝いをしてもらってちる。


カウンセラーさんは、3年前から一貫してこう言う。


えりかさんは素敵な人。

自信を持って。


この言葉を素直に受け入れられるようになるのに、三年かかった。


昨日もカウンセリングに行き、気づいたことがある。


私は、小さい頃から家を出るまで、ずーっと否定されて育ってきた。

母からも、姉からも、父からも。

本当に、全て。

全てを否定されてきた。


ひとつずつ辛かったことを、カウンセラーさんに聞いてもらった。


話の順序なんかバラバラ。

聞いてて疲れると思う。

それを、ずーっと根気よく聞いてくれる。


カウンセラーさんは、ゆっくり口を開いた。


そんなに自分が思ったことすら否定されてしまったら、もう何が正解なのか分からなくて、他人に依存せざるを得ないよね。


自分の意見を持つことを否定された。

⭕️と言えば❌だと否定され

❌と言えば⭕️だとまた否定された。


まだ言葉が上手く喋れない幼少期に、姉にバカだと言われた。

嫌な気分になったと言うと、姉は

「嫌な気持ちにさせることを言わせるお前が悪い」

と理不尽に怒り立てた。

母も父も、姉に賛同した。

泣き出すと、煩いと怒られた。


その後、何年も何年も

「えりかは泣くとほーんと煩い」

と笑いながら話してきた。

何で泣いたかなんて、自分たちに都合の悪いことは無かったことにしやがる。


だから、常に批判されないように気を張っていた。

それでも、私を批判して優越感に浸ろうとする人ばかり寄ってくる。

そしてまた批判する。


あの人たちが嫌だと言うと

「そういう人達って普通切ってくよね。まだそんな人が周りにいるなんて。類友じゃん」

とまた批判される。


私が悪いんじゃ無い。

生きるために、そうせざるを得なかった。

その癖が抜けないのだ。

そんな批判する人を受け入れてあげる、私の優しさと器の広さだ。


まずは、私。お疲れ様。本当頑張ってきたよね。

自分の良いところを良いと言って良い。

湧き上がる感情を否定する人の意見なんて聞かなくて良い。

私の感情は、私だけのものだから。