ラマナ氏が過ごしたというアシュラムを離れ、アルナチャラからの帰路につく。





外はずいぶんと太陽が高くなっていたが、まだ昼の空気は遠慮しており、



朝のさわやかさを味あわせてくれていた。





私の足取りは軽く、体中をフレッシュなものが流れているような感覚。




大きな石ばかりのゆるやかな坂道を下りながら、



往路とは違う景色を見ているようだった。








そんな中、昨年うちの職場に入職されてきたある方のことが、なぜか頭をよぎった。







私は、他人に対して好意的にとらえる方だと思っている。



あまり警戒心や不信感を持つことなく、そのことで友人から心配されることもしばしばだ。





しかしその方に対しては、違っていた。




徐々に嫌悪感を持つようになり、



共に働くことに、強いストレスを感じるようになっていった。






少し年上のその方は、最初はすごく可愛がってくれていた。



私たちの距離は、あっという間に縮まっていった。





ところが、私の体の不具合に手術が必要とわかり、周りが配慮してくれだした途端、



その方の態度が一変した。





職場では、私が受診で休ませてもらった次の日のみ、話しかけてくる。



内容は、前日の仕事の大変さと(申し送りは一切されない)、私の受診を疑う嫌味だけ。




他の日は、完全なシカト。





そのくせ、夜に電話をかけてきて、体調や病気の事を根掘り葉掘り聞いてくる。



挙句、自分の話を1時間以上し続ける。



私はヘトヘトになり、ますます激しい不眠症になっていた。




当時の私は、その方のなすがままだった。



自分の病気のことで迷惑をかけているから、何も言えないと思ってしまっていた。






手術とその後の療養のため、1か月半の休職中も、電話は続いた。



復帰後も、同様の辛辣な関わられ方に、もう、耐えるだけのエネルギーはなかった。






私の体はやせ細り、心身のバランスがさらに崩れ、仕事が出来なくなった。



本当はとうにドクターストップがかかっていたのだが、私は決断できずにいた。





退職はどうしても受け入れてもらえなかった。



ありがたいことではあった。







そして、病気休職させてもらって一年。



この一年間も、その電話からは解放されなかった。






私はその方のことが、どうしても嫌で仕方なかった。




誰からであっても、電話が鳴ると、激しく動悸が打っていた。







全ての出逢いに意味がある、と聞いたことがある。






この出逢いにどんな意味があって、どうして出逢わなければいけなかったのか。





うらみがましくしか思えなかった。








それがなんで今、その方のことがよぎるんだろう。








私は、これまでも何度か仕事を辞めたいと思うことはあったが、



きっと本気ではなかった。







その方がいなければ、今のように退職を決意することはなかったろう。




この心身の状態について、その方のことは一つの要因に過ぎないかもしれない。



とはいえ、きっとその方がいなければ、この状態も休職もなかったろう。






不思議と私の中には、その方がいなければ退職せずにすんだのにという考えはない。







むしろ、決意している今、とてものびのびとした自分を感じている。



まるで、籠から出られた鳥のように。






自ら籠にとどまり、安全さを最大の平和だと思い込んでいた。




籠とは、仕事を指しているのではなく、自分の殻とか枠だ。





私にとってこの決意は、ただ仕事を辞めるということではない。





自分で多くの重ね着をして殻を作り、不自由になっていたことに気づいて、



もう必要ないと、自分で脱いでいく決意のことだった。






その先には、真の平和や自由があることを感じている。








あぁ ・ ・ 




その方のおかげだったのか。






この出逢いによって、確かに苦しんだ。




でもその方のおかげで、私は私を解放することに気づかせてもらえた。








あぁ ・ ・




この出逢いは、”ギフト” だったんだ。







そう感じた瞬間、周りの木々がにじんでみえた。




溢れ出る涙は、照りつける太陽でさえ乾かせそうになかった。







私がいつまでも気づかないから、




いつまでも電話が続いたんだ。 






気づきなさい、と。










”全ては神からのギフトである”









うらみがましくしか思えなかったその出逢いに、




ただただ、感謝の気持ちがこみ上げてきた。






(この後、パタリと電話がなくなった)








例えば誰かがみかんをくれたなら、そのみかんも神からのギフトだろう。







出逢う人、モノ、景色・・・



全てが神からのギフト。







どれだけ多くのギフトを、与えられてきたことだろう。







前を歩く女性(グル)。




そして、アルナチャラに今いる。








私は決めた。







もう少しこの旅を続けること。




この地から婦長に連絡し、話し合いの前に退職の意思を伝えておくこと。








こうして決められたこと。





これすら、神からのギフトだ。









下山してきた私たち。






今歩いてきた道を、振り返ってみる。








さらに高くなったお昼の太陽は、





私の意志と、神の山アルナチャラを、






はっきりと映し出してくれていた。