インドに迎え入れてもらい、6日目。
アルナチャラのケイブという場所を訪れることになっていた。
今日を含めて、この地を味わうのは実質あと4日。
5日後の朝には、この地を離れる。
私の中で、もう少しいたいと感じるようになっていた。
でもその一方、休職中の職場と、私の今後についてを話し合う時期でもあり、
今の連絡が取れない状況を恐れていた。
心身共に患い、仕事が出来なくなり、休職させてもらってちょうど一年。
この一年、退職か復職か、ずっと悩んでいた。
女性(グル)との出逢いで、何かが変化し始めている今。
私の中で、すでに退職の意思が固まっていた。
実際、一年ではまだ復帰出来るだけの心身の回復は望めていない。
しかし、そういうことではなく、もう離れる時だと感じていた。
それなのに、意思は揺らがないのに、なぜか恐れているのも感じていた。
休職中という状況にも関わらず、職場に内緒でここにいることも、
帰国後、退職を伝えることも。
(主治医はあっさり承諾し、バレないように気を付けて行って来なさいと背中を押してくれていた。
これはすごく不思議だし、感謝している。)
ケイブに行くため、今朝も早起き。
目覚まし時計を持っておらず、携帯電話のアラームで目覚める。
電池節約のため、普段はオフにしているが、自動電源オンで鳴るようにしているのだ。
この短いオンの時間内で、可能なだけの待機メールが届く。
2通入った。
2通とも同じ内容だった。
職場の婦長からの、不在着信を知らせるものだ。
恐れてた状況がホンマにきてしもた。
ヤバい、ヤバすぎる。 どうしよう ・ ・ ・
私は、動悸を打ち始めた。
息も詰まる感じだ。
これからケイブに行くのに、なんでこんなタイミングなん。
私の中は、激しくざわついていた。
日本を発つ前から、行っている間に連絡入ったらどうしようって思っていた。
先に退職を伝えてからとも思ったが、思い切れなかった。
女性(グル)には、そういう時は思えるまで待てばいい。
待つのも修行だと言われていた。
もやもやしたまんまインドに行けばいいとも言われていた。
それでもインドは受け入れてくれ、何かを感じさせてくれるところだからと。
女性(グル)の滞在先から、韓国人の彼女と共に、3人で出発した。
私は、今朝の状況を伝えた。
これって、このタイミングって、
ケイブに行く直前に恐れていた状況になってるのも、何か意味があることなんですか?
きっと、そうでしょうね。
女性(グル)は、その一言だけサラリと言い、アルナチャラの山道に入って行った。
ケイブは、ここから30~40分位の所らしい。
私は静かに歩きながら、ざわつく自分の中を見つめることにした。
私、どうしてこんなにも、この状況や退職を伝えることを恐れているんだろう。
常識として、このタイミングで連絡つかないのはすごくタブーだ。
もともとこの時期ってわかっていたし、ましてや休職中にインドだし ・ ・ ・
確かにすごく非常識だけど、それと ”恐れ” とどうつながるんだろう?
途中の休憩できるポイントに着いた。
何の答えも見つけられないまま、大きな岩に身を任せ、見晴らしの良いパノラマを見下ろす。
ビッグテンプルを中央に、気持ちいい広がりのある景色だ。
どこともなく、ただ見つめていた。
うわっ!!
不意に、大きなハチが目の前に飛んできた。
ハチは私の前を横切り、去って行った。
瞬間的に冷や汗が出るほど恐かった。
でも私は、すぐにどこともなく見つめていた自分に戻っていた。
恐さはスッと消えていた。
ふと、思った。
いつもそのハチを目で追うから、ずっと恐いのかも。
目で追わず、視界から消えると怖くない。
追うのも、追わないのも、自分。
それに、もういないから怖くないはずなのに、またきたらどうしようって怖くなることも多い。
そうやって、過ぎたことをいつまでもつかんでいるのも自分。
”恐れ” って、自分が追うから、
いつまでもつかんでとらわれるから、恐れてしまうのでは。
ただ眺めて、やりすごせば、そこにとらわれず手放せば、
”恐れ” から解放されるのでは ・ ・ ・
そう感じたら、少し自分のコリみたいなものがほぐれた気がした。
今の自分の本題。
私はなぜ、婦長の電話を恐れていたのか。
私はどうして退職の決心がなかなかつかず、ついてる今も、伝えることを恐れているのか。
私は、今の仕事において、この14年間本当に頑張ってきた。
もちろんスランプや、辞めたいと思ったこともあった。
でも、私のエネルギーのほとんどを、仕事に真剣に注いできたと思う。
そのぶん、評価や信頼も得ているのを、直接的にも間接的にも感じていた。
生意気で、傲慢かもしれないが、感じていた。
辞めるということは、その評価や信頼を、得られなくなるということ。
例えば転職するなら、そこでゼロから築き上げていくということで、
それは、とても大変なことだ。
でも今私が見ているのは、先の大変なことを請け負いたくないのではなく、
きっと、今当面の、失うものを見ているのだと思う。
失うもの。
今、得ている評価や信頼。
介護という、世間で良しとされる仕事。
そこで得られる決まったお金。
私は、そういう周りからの評価、信頼や、世間から良しとされることで自分を保っていたのか。
私は、そうやって周りによく見られることでしか、自分自身の価値を見いだせないのか。
そんなものなくても、私自身が自分を価値あるものと思えるなら、
恐れず、とらわれず、手放せるのではないか。
婦長からの電話を恐れていたのも、
すぐに対応できないことでの、私の評価が下がることへのものだろう。
退職を伝えることへの恐れは、復職を当然と思われている中で、
その思いに反することでの、同様のものだろう。
そしてこれらは、「社会人とはこうあるべき」 という、
私のとらわれた観念からの決めつけにすぎない。
仕事やお金がないこと、確かに不安だ。
でも私は、体調を崩しはじめた頃から、本当は感じていた。
もう、このままではいけないのではないか。
きっと何かが違う。
どこかで警告音を聞きながら、ここでの未来など感じられないまま、心をふさいでいた。
その感覚は、今なら認められるが、これまでは無視をきめこみ、不安のほうばかりに目を向けていた。
でももう私は、お金がない不安にとらわれてしがみつくより、自分をちゃんと大事にしたい。
周りがどうであっても、自分が自分を認めてあげたい。
そろそろ行きましょうか。
女性(グル)の一声で、立ち上がる。
ここまでの山道の疲労感は、不思議と見当たらない。
さっきまで感じていたことを、反芻しながら歩く。
たくさん身に着けたものは、外側のもの。
そんな言葉が、わいてきた。
私が、世間体とか、人から良く見られたいと思うこととか、
そういうものやお金を失うことを恐れたり、とらわれたりすること。
それらは、本来持ってなかったものだろう。
いつからか、生きている中で、自分で身に着けてしまったんだ。
それなら、自分がもう脱ぎたいと思えば、難しくなく脱げるはず。
ここが、ラマナ氏が過ごしたアシュラムです。
少し入らせていただきましょうかね。
そこには、小さく簡素な建物があった。
私は、さっきまでより身軽な自分に、出逢えていることを感じてた。