10月29日に父が他界しました。享年67才。
いろいろあったことを忘れないための覚書ですので、お悔やみ等は不要です。
父はかねてから入院しておりました。
私も高校卒業後に家を出てから一緒に暮らしたことはなかったので、
どうして病気を発病して、どうしてこんなに早く亡くなってしまったのかというのは
結果こうなっていろいろ聞かされたただけで、正直謎です。
2年ほど前に会ったときはまだ普通に元気でした。多少物忘れしていると思ったくらいで。
私が聞かされているのは、定年退職後に若年性認知症にかかり、
脳梗塞を起こして入院して、自分で(というか自分の意志で)食事を摂ることが出来なくなって、母の希望で胃ろうをしてもらって、やがて、肺炎を発症して、血圧が下がって死に至ったということ。
亡くなったのはその日が終わる三分ほど前で、私も病院に残っていました。
だから、看取る事が出来たことは本当にありがたいなと思っています。
離れて暮らすことを選んだ以上、親の死の間際に立ち会うことは出来ないかもしれないと思っていたので。
胃ろうをして末期の患者さんはみんなそうだと思うけれど、
生前の面影などないくらいに痩せて、てもその年齢には見えない死に顔でした。
実はその日の昼のうちに母や叔父とも話して、いろいろと葬式の段取りなどは決めておいたので、その日の当直の看護師さんや病院に詰めている葬儀社の方に遺体もきれいにしていただき、深夜だったけれど何事もスムーズに進みました。
翌日は友引だったのと、死んでから一日は置かないという決まりがあるらしく、
(その間に死亡届を出して翌日の火葬許可証をもらう。葬儀社で全部やってくれる)
その夜はそのまま遺体を安置して私たちは帰宅しました。
結局、寝たのは深夜2時ころだったかな。
翌日は朝から準備をして、普段着で再び葬儀場へ。
これまた実はなんだけど、私と弟とで前日の昼間のうちに写真屋さんで遺影を作っておいたので、それも翌日には持っていくことが出来ました。
(葬儀社で頼むとだいぶお金がかかるうえに、私は写真の加工を絶対したくなかった!)
遺影の写真は従兄弟の結婚式のときのもので20年ほど前の写真。
私とのツーショットの写真だったので叔母が「いい顔してる」と言ってましたね。
今回は母の希望で家族葬を選びました。
葬儀場の小さなスペースで本当に家族だけで送る、
お通夜もなければ告別式もない、本当に小さなお葬式です。
私たちにしてみればあまりお金をかけたくないというのもありましたが、
母はやはり生前の面影もないやつれた姿を見られたくないという気持ちもあったようで。
でも、これはすごく良かったんじゃないかなと思いました。
前日はただ家族(母、私、弟)と父の姉である叔母と母の弟である叔父とだけで、
持ち込んだ食料を食べてお茶を飲みながら思い出話をして過ごしただけ。
誰に気を使う必要もなくて、父のいる部屋で近い人達だけで過ごしたのは本当に良かったです。
疑問に思ったことがひとつ。最近の葬儀場は誰かが残ることも出来ないらしく、
通夜は昔のように「蝋燭の火を絶やしてはいけない」というのはないのでしょうかね・・・。
葬儀当日は、と言ってもそこでは葬儀はないです。
当日は叔母の息子(私から見れば従兄弟)と父の従兄弟が来てくれて、
全員が揃ったところで納棺、棺に花や生前使用していたものを入れて、そのまま火葬場へ。
(燃えないもの以外は入れられるらしく、コーヒーまで紙コップに移して入れてくれたのにはびっくり)
火葬場で菩提寺の和尚様と待ち合わせ(いつのまにか孫に代替わりしていた!)
炉前経だけは別でお願いしていたので(これは葬儀とは別料金)拝んでいただいて。
あ、最近は一緒に声出してお経上げるものなの??
うちの和尚様はそのテイストでした。15分ほどの炉前経、みんなで声出して拝みました。
それから1時間半くらい待って(身内だけなのでただひたすらコーヒー飲んでおしゃべりタイム)
年齢的に若かったせいか大きい骨がそのまま残っていて全部収められなかったけれど、
収骨を終えて、食事会をして解散という流れでした。
無事に四十九日も終えたので、思い出しながら書留めてみました。
まだまだいろいろ問題は残っているのですが、とりあえずこれで最後なのかな。
あとはお墓の問題とか。
もう誰も地元に残っていないのに、お墓を建てる意味はあるのかなとね。
永代供養ではないけれど、いまはお寺の納骨堂っていう考え方もあると思います。
次の世代に墓守を継がせるなんて、もうそんな時代ではないよねとうちでも話してました。
いろいろあって怒涛の一ヶ月ほどでしたが、先日四十九日で帰省したときはわりと落ち着いてました。
母は仕事もしているし、友達も多いので、まだまだ訪問してくださる方がいて、忙しいようではありましたが。
忘れないように雑多な感じではありますが、書き留めてみました。
親の死というのは、誰しもが必ず対面する問題ではありますしね。