これは必然的であり、私がそう仕向けたからである。あらゆる馬鹿に嫌われるということは生きる上、人生でも最重要点である。聞いてもいないのに「結子は嫌い」「結子は難しく考えているだけ」「結子は賢いフリをしている」「結子は女の人とはなしたことがない」などと私「が」いかに至らないか、私「に」限って他となにが駄目なのか、嫌いなのかなどを反対の可能性を無視したまま話を先に進める。
もちろん、嫌われていることは私が感じるのみによる根拠にしか過ぎないものであり、嫌いだといったブーイングの裏側にある私のことを正しく嫌いだと思う感情は表面上の態度からは決して察し得ないのである。また、馬鹿は高校数学の微積などについて考えることができない為、数学は物事を小難しく考えるだけの道具にすぎないなどと馬鹿自慢を垂れ流すほかないのである、馬鹿にとって不快に思われる、そして嫌われることは賢い人にとっても必ず正しい行動だといえる。私の友人には、慶應大理系卒でかつ、正しく学問に取り組む女性や、その他には機械音痴でパソコンの使い方を知らない女性などに「口頭」で話すことによってソフトのインストール手順やソフトに実装されている機能の使い方などを素早く慣れることができるよう、専門用語などを極力挟まず、理解を促した。そのことは 本当に小難しいだけで性質的に不器用「な」オタクなのだろうか。ひとつ助言が許可されるなら、そんな思い上がりはやめた方がよいといっておこう。