1980年夏 RCサクセションの思い出 | Life for Journey

1980年夏 RCサクセションの思い出

1979年。
東北の田舎町に、プー横町の小さな家というバーがあった。
カウンター7席程度の小さなバー。店主の名はヒロシさん。
どういうきっかけでその店に通うようになったのは、高校生の僕らも、プー横に入り浸っていた。
田舎の小さな町では珍しい、ロックを聞かせてくれるバー。
そこで、ザ・バンドやボブ・マーリィーを知った。
ムーンライダーズやシュガーベイブなどの、日本のポップスを教えてくれたのも、プー横だった。
ある日、ヒロシさんが、高校生の僕らに日本人アーティストのシングル盤を聞かせてくれた。
そしてヒロシさんが「このバンドを一関に呼びたいと思っているんだ」と口にした。
そのバンドがRCサクセションであり、シングルが「ステップ」だった。

年が明けて80年。
プー横は、広い場所に移転し、スモールタウントークという名前になった。
RCは新しいシングルを発表。
田舎の小さな町にRCがやってくることが決まった。
その「雨上がりの夜空に」は、高校生の僕らのテーマソングになった。
僕らは、ごく自然な流れで、RCのライヴを成功させるためのボランティアとなっていた。
たまにミーティングに参加させてもらう。
何が話し合われていたのかは、さっぱり記憶がない。
けれど、ビールをごちそうになり、大人たちとRCの音楽を聞いて盛り上がる。
高校生の僕らには、刺激的な時間だった。
ライヴは8月に決まった。会場はボーリング場の2階。
ライヴハウスでもホールでもない。
ライヴまであと数日というときに、俺は盲腸で入院することになってしまった。
医者に、手術を数日伸ばすように懇願するものの、
「なんでここまで我慢していたの? その数日で、盲腸の手術だけではすまなくなる」と言われ、
腹痛で病院へ行った当日に入院、そして手術となった。
手術の痛みが残るなか、ライヴ当日を迎えた。
当然、ライヴへ行けるわけではない。
ライヴがやっている時間は、まだ看護婦が病棟を見回っている時間だ。
数ヶ月、この日が来ることを楽しみに、大人たちと遊ばせてもらっていた俺。
なかなか諦めがつかない。結局ライヴそのものは断念したけれど、
深夜にスモールタウントークで行われる打ち上げだけに参加することにした。
友人たちの力を借りて、スモールタウントークへ。
そこで、数ヶ月の苦労と喜びを分かち合うような祝宴が行われていた。

振り返ると、あの打ち上げが、
今もこうしてパーティーやイベント、野外フェスに参加する大きな要因になっている。
そのきっかけを作ってくれたのが、RCサクセションだった。
打ち上げではっちゃけ過ぎたのか、病院へ戻ると、手術した傷口から血が流れ出していた。
結局、通常一週間程度で退院できる盲腸で、一ヶ月近く入院するはめになってしまった。
退院したとき、高校最後の夏休みは終わっていた

(TK)