アーロン・ラルストン@サンタフェ
8年前の今日。2003年7月5日、僕はニューメキシコ州のサンタフェにいた。
ちょうどその年の春、はじめての日本ツアーを行ったストリング・チーズ・インシデントが、
アメリカの建国記念日のイベントをサンタフェで開催していた。
それを見るためのサンタフェ行きだった。
4日と5日の2日間にわたって行われたサンタフェ・インシデント。
広がる土地を掘ったような会場。夕焼けとマッチしたチーズの演奏も、今も忘れない。
アメリカの野外劇場の多彩さを、そこでも感じた。
2日目の5日は、特別なショーだった。
アーロン・インシデントと名付けられたショー。
ひとりユタの山に入り、遭難。
自分の手を切断して戻ってきたヒーローを讃える夜として、
その日のライブがセッティングされていた。
現在公開中の映画『127時間』の原作者である
アーロン・ラルストンのためのインシデントがその夜だった。
PHISH好きでチーズの音楽も愛する一人の青年の奇跡の帰還。
ニュースでそのことを知っていたこともあって、
その日のアーロン・インシデントは、さらに思い出深いものになった。
銀の義手をはめたアーロン。
彼のもとには、多くの人が集まって、彼の帰還を祝福していたっけ。
あの時、事故からわずか2カ月しか経過していなかったんだよなぁ。
映画を見ると、アーロンのタフな精神が見えてくる。
「俺ならば…」
冷静になることなんてできずに、
きっと生きることを諦めていたに違いない。
2003年7月5日の音源はこちら。
これは映画でアーロンが着ていたTシャツ。
PHISHの2000年のフォールツアーのもの。
自分が持っているTシャツを劇中の主人公が着ているのを見ると、
その映画が急に近くなってくる。
(TK)
ちょうどその年の春、はじめての日本ツアーを行ったストリング・チーズ・インシデントが、
アメリカの建国記念日のイベントをサンタフェで開催していた。
それを見るためのサンタフェ行きだった。
4日と5日の2日間にわたって行われたサンタフェ・インシデント。
広がる土地を掘ったような会場。夕焼けとマッチしたチーズの演奏も、今も忘れない。
アメリカの野外劇場の多彩さを、そこでも感じた。
2日目の5日は、特別なショーだった。
アーロン・インシデントと名付けられたショー。
ひとりユタの山に入り、遭難。
自分の手を切断して戻ってきたヒーローを讃える夜として、
その日のライブがセッティングされていた。
現在公開中の映画『127時間』の原作者である
アーロン・ラルストンのためのインシデントがその夜だった。
PHISH好きでチーズの音楽も愛する一人の青年の奇跡の帰還。
ニュースでそのことを知っていたこともあって、
その日のアーロン・インシデントは、さらに思い出深いものになった。
銀の義手をはめたアーロン。
彼のもとには、多くの人が集まって、彼の帰還を祝福していたっけ。
あの時、事故からわずか2カ月しか経過していなかったんだよなぁ。
映画を見ると、アーロンのタフな精神が見えてくる。
「俺ならば…」
冷静になることなんてできずに、
きっと生きることを諦めていたに違いない。
2003年7月5日の音源はこちら。
これは映画でアーロンが着ていたTシャツ。
PHISHの2000年のフォールツアーのもの。
自分が持っているTシャツを劇中の主人公が着ているのを見ると、
その映画が急に近くなってくる。
(TK)