SOFT | Life for Journey

SOFT

SOFT をはじめて見たのはいつだったろうか。

アフターデッドでありビフォーPHISHの頃だから、
96年か97年だったと思う。

グレイトフル・デッドがジェリー・ガルシアの急逝により活動を止めた。
その年、どっぷりデッドにひたっていた俺は、
次に何を見ればいいのか、何を聞けばいいのか、まったくつかめないでいた。
他のバンドのショーを見ても、
いつも「デッドなら、もっと」と思ってしまい、
目の前の音に入り込んでいけない。

そんな時、日本のデッドヘッズの先達に誘われ、
野外パーティーへ通うようになった。

テクノの野外パーティーは「ロック」ではない。
けれどそのビートとエモーションは、間違いなく「サイケデリック」だった。
デッドヘッズがそこに求めていたのは、
デッドとはまったく別のサイケデリックでありトランスだった。

イクイノックスかアースダンスだったと思うけれど、
サブステージでは、バンドのライブが行われていた。
そこに出演していたのが、SOFTでありAOAだった。
まだROVOは結成間もない頃で、
ROVOはテクノシーンにはさほど登場していなかったと記憶している。

SOFTやAOAは、セッションによって音を構築していた。
今で言うジャムバンドだ。
デッドのように、ロックやブルーズ、カントリーなどをバックボーンするのではなく
テクノをバックボーンにした新時代のバンドとしてのサウンド・クリエーション。
これこそが「テクノ」の国である日本発信のサイケデリック・ジャムだと感じた。

デッドとは違うけれど、サイケデリックを継承した日本のサウンド。
それが、90年代後半に感じたSOFTの印象だった。
野外パーティーでAOAやSOFTが演奏していたのは、
ジャムという言葉が使われるようになる前のことだ。

その後、PHISHやチーズを追いかけるようになって、
テクノジャムを見る機会は減ってしまった。
けれど今振り返ると、
STS9やロータスの方向性を、彼らの誕生前に、
日本のバンドが示していたように思う。

そのSOFTが久し振りに活動を開始した。
そして横浜と柏でショーが行われる。

90年代に感じたことを再確認させてくれるのか、
あるいはまったく新しいビジョンを味わわせてくれるのか。
どっちにしろ、楽しみであるのは間違いない。

8/27@濱ジャム祭
8/28 @ポカマニア


(スカル)