何だったかな?


何によって、この情報を得たんだったろう?

かつての東北震災で、やりきれないほどの悲痛な情報記事が新聞紙上に溢れた時、その日の新聞の四コマ漫画は、ひどく日常的で笑える、物凄く気楽なものだった、って。




おそらく、今日からたったの、10日前の、3月11日のTVを観ていた時、そんな内容の事が報じられていました。



日本では、3月11日と言えば、過去の東北震災という恐ろしくて、悲惨な災害のあった日で。
その連鎖で福島の原発。

忘れちゃいけない、全て。
本来ならば、それ関連記事で、溢れかえるはずだった、今年の3月11日の新聞も、TVも。


新聞社も考えたろう。
東北震災記事、紙面裂くのは、どうよ、って。


11日の新聞は、あれもそれもこれもどれも、全部吹っ飛ぶほど、コロナ一色で。
日本国中の、コロナに対する不安と緊張がハンパない様子、露呈しまくり内容でした。

そして、その記事内容に、相反する形で、とても気楽な日常的なコボちゃん漫画が。


笑かしてもろたー!(笑)


現在の日本は、ウィルスという形の見えない、地球レベルで、人間が淘汰されそうな敵に、侵されそうな今現在です。

人類は、必死に戦っている。
それぞれの立場で。


形も音もなく、静かに、世の中が、どんどん変わっていく様子を、スマホや、TVで、普段から、孤独好きの田舎暮らしの私は。
平和に包まれながら、言いようのない不安と不快に、どんどんさいなまれてゆきつつある、という、精神状態。
で、ありつつも。


それでも、寒かった冬が終わり、世の中がどんどん気温の上昇とともに、陽の長さ、陽射しの明るさから、ちょっとした幸福感を感じることを、禁じざるを得ない。

あぁ。
庭の花の色とりどり、風のにおい、夕刻のコバルトブルー。




花粉症さえ、今年は楽勝、なぐらい、幸せやのに。



あぁ。
得体の知れない物への不安。


どっちやねん!!!!



この状態を、不気味な平穏と、名付けよう。




3月5日に白内障手術を受けた。
眼科病院の術後直後。

やっと終わった手術の後に、やれやれ、ホッとたどりついた、病院のベッドに座るや否や、私のみならず、一人づつ入院患者たちに告げられた言葉。


「体温が37度5分以上になったら、この病院を、退院してもらいます」


そりゃあ、そうだよね。
充分、理解しています。


それ以降、自分も、家族である夫も、
社会にご迷惑をかけぬよう、気をつけて、大人しく、用事以外の外出しないで、毎日暮らす。


不気味な平穏は、日本では収まりそう、でも、これから世界へ、まだまだ続きそう。


今のところ、黙りこくっている大国ロシア、黙っている北朝鮮。

アジアのロヒンギャ、アフリカにだって派生したら、どうなるんだろう。

スラムにひしめきあって暮らしていれば、そして、医療環境も整ってなければ、あっという間に、蔓延するだろう。
行きつくところまで行くのでしょうか?


その時、先進国は、どう関わるのだろう。

それが、国内の私達の暮らしに、どんな影響が出てくるのか?


そこまで思いを馳せると、自分のの平穏無事は、感謝でしかありません。




人間は、笑って気分を転換するという才能を持ち、その笑いの共感を、大きな社会性にまで高めて、協力しあって、よきベクトルへの知恵を出しあえる力を持つ、優秀な生き物です。


笑いは、打開の道への第一歩やと、思うのです。


うちがとってるのは読売新聞で。
私は、コボちゃんの平穏無事な四コマ漫画に、笑わしてもらい、癒されています。


特に最近は。

作者の植田まさしさんの意図に、癒され、励まされ、救われているのは、私だけではないはず。


「コボちゃん」のタイトル横には、コボが石鹸で手を洗っている所が描かれています。
その絵は、たまらなく可愛いです。


明るく、笑顔。
笑いを忘れず。



新聞は、貯まってくると、古新聞という、重要性のある素材に変貌することと、このサバイバルな状況下の新聞情報内容のありがたさと、コボちゃんの存在に癒される、てことと。


年金家庭は、もう新聞とるのやめようかな、と、思てたけど、引き続き、新聞をとる事にしました。