今日は、目の再診日でした。


抜糸はまだまだ先なのだそうです。





手術の時。

先生は、目の表面の膜を、チクチク縫うてくれてはった。

もちろん、麻酔はしてくれてはったけど、少し、チクチク痛かった。


若い先生と、ずっと話し合いながら、長いことかかって、やってくれてはった。


手術が長引いて、「長いことかかって、ごめんね。
もう少しやからね。」
と、私に声かけも、してくださる。

私の目はたぶん、平凡ではなく、難しい臨床例として、若い先生にも、こんな例もあるよ、という、良い例なのかもしれません。


先生は、若い先生に対して、こうせい、あぁせい、とは、言わない。
「どうしたらいい?」と、尋ねながら、若い先生に、私の例から導ける手順他を、若い先生自身に言わせてはった。


そういう事だったのだろうと、思う。
あの、手術中の会話は。

偉い方だ。

全国から、みんな来るわけだ。
今日だって、小さなパーキングに、和歌山ナンバーの車が2台。





私にだって、今日も、「ありがとう」と、おっしゃる。


なんで?こちらこそ、ありがとうなのに。

そんなに、珍しい目の臨床例なのかしら?
とも、思うけれど。


「細かい事をするんやろう?見えるようにしようと、思てる」
この伝え方を、私は彼から、何べんも、聞いた。


見えるようにしてやる、とか、してあげる、とか、そんな言い方を、一度もおっしゃらない。


偉い方だ、と、何べんも思った。

その上の、私なんかに、「ありがとう」

そして、私は、目の手術を経て、「細かい事をする」ように、まるで運命づけられるように、「細かい事」「細かい事」と、先生から、声かけられて。


(こないに、何べんも何べんも細かい事て言われたら、細かい事せなあかんのかなぁ、誘導されてるみたい)と、思いました。



そして、手術室から出て来たら、看護師の方が、もふもふの毛布で「お疲れさま❤」と、やさしく抱き抱えるように、毛布でくるんで、もふもふトントンしてもらって。

こんな幸せなことない、と、感じた。


BGMに、私の好きな、小鳥の鳴き声が混じって聞こえて来る。
心癒されるやつやん!❤


良きサポートを受けて、自分の未来が開いたようだ、と、感じた。


濃密な時間、白内障手術は、今日日珍しいものでは、ありません。

たいていの方々は、再生の術を受け、その後、幸せで快適な老後を送る。
それが、マジョリティ。

私は、マイノリティなので、どうなるのでしょう。

緑内障の危険はなくなるらしいので、それは、幸せ。

これまで、出来てきた事が、回復後、同じにできるのか?
わかりません。



でも、それがねぇ、「あほ」っていいな、って、つくづく思う。

私は、楽しくやってける☺って、根拠なく思いこめてるんです。

植木ひとしという昭和のコメディアンの
歌の世界を、そのまま生きてける、自信あるんです。


🎵そーのうちなんとか、なるだろう🎵